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【北大HOPSマガジン】 なぜ、今、EUにノーベル平和賞なのか

鈴木一人 鈴木一人(北海道大学公共政策大学院教授)

 2012年のノーベル賞のシーズンが終わった。今年は山中伸弥・京都大学教授がノーベル医学生理学賞を受賞したことが大きく取り上げられたが、いずれ受賞すると見られていた研究だったので、受賞自体に驚きは少なかった(実験の成功から時間が経っていないスピード受賞は驚きであったが)。

 逆に、今年のノーベル賞のサプライズはノーベル平和賞を欧州連合(EU)が受賞したことであろう。

 事前の下馬評では『独裁から民主へ』などを書き、世界の民主化運動に影響を与えたジーン・シャープ博士や、アフガニスタンで人権活動をしているシマ・サマルさん、ミャンマーの民主化の立役者となったテインセイン大統領などが挙げられていた。また、組織としても「アラブの春」が実現するのに不可欠な役割を担った、衛星放送のアルジャジーラなども受賞するのではないかとささやかれていた。

 なので、今回の受賞には相当な驚きがあった。欧州委員長のバローゾも記者会見で「今朝、目を覚ました時、こんな素晴らしい日になるとは思わなかった」と言うほどの驚きだったようだ。

 EUが下馬評を覆す受賞となったのはなぜだろうか。なぜ、今、EUがノーベル平和賞を受賞したのか、少し考えてみたい。

■ちょっと特殊なノーベル賞

 ノーベル賞には物理学、化学、医学生理学、文学、経済学の各賞と平和賞がある。物理学、科学、経済学賞はスウェーデンの王立科学アカデミーが、医学生理学賞はスウェーデンのカロリンスカ研究所が、文学賞はスウェーデン・アカデミーが選考を行う。それに対し、平和賞だけはノルウェーのノーベル委員会が選考する。

 このノーベル委員会はノルウェー国会によって指名される独立委員会であるが、国会による任命だけに党派性や政治性を含みうることを指摘する声も少なくない。近年でも、2009年の受賞者は大統領に就任して間もないバラク・オバマ大統領であり、平和賞に該当する実績には乏しいものの、プラハでの「核なき世界」演説などが評価されて受賞したのは記憶に新しい。

 なので、同じ「ノーベル賞」であっても、平和賞は他の分野とは異なり、実績や学術的な価値といった指標で選考されるのではなく、政治的なインパクトや影響力といった、客観的には定義しにくい指標で評価されるものであり、選考時の政治的な状況やノーベル委員会の持つ価値観などに左右されるタイプの賞といえよう。

■EUが受賞した理由

 ノーベル委員会は、EUが受賞した理由を「60年以上にわたって欧州における平和と和解、民主主義と人権の向上に貢献した」としている。また、EUが達成した5つの成果として仏独和解、ギリシャ、スペイン、ポルトガルの民主化支援、旧共産主義諸国の支援、トルコの近代化、西バルカン半島の平和構築が挙げられている。

 確かに欧州統合は、数度にわたる凄惨な戦争を経験し、二度と欧州大陸で戦争を起こさないとする誓いの形として始まったし、冷戦が終わった時に多くの旧共産主義諸国がEUに加盟することで安定と平和、民主主義を手にすることができたことは間違いない。しかし、これらの評価を本当に額面通り受け取れるだろうか。

 1970年代に権威主義体制から民主主義体制に移行したギリシャ、スペイン、ポルトガルをEUに加盟させたことで、立ち上がったばかりの民主主義を擁護し、権威主義に逆戻りさせなかったことはEUの功績と言えるが、これらの国々は、まさに現在のユーロ危機で苦境に陥っている国々である。成熟しきっていない民主主義国を単一市場に組み込み、単一通貨を流通させることが果たして正しかったのか、多くの疑問が残ったままである。

 また、1990年代に西バルカン半島で起きた、一連の旧ユーゴ紛争は「民族浄化」を掲げ、他民族を虐殺する悲惨な戦争であった。EUはこの旧ユーゴ紛争を停戦させるべく、様々な努力を行ったが結果的にはうまくいかず、アメリカの軍事力に依拠しながら、北大西洋条約機構(NATO)の枠組みで介入して、ようやっと停戦にこぎつけた。

 その後のコソボ紛争の際もEUではなく、NATOの枠組みで介入し、EUは停戦後の紛争再発予防のためのプログラムに関与しているだけである。

 また、EU加盟国同士の紛争にしても、EU(その前身を含む)が本当に平和と民主主義・人権の向上をもたらしたと言えるのか、確定的に言うことは難しい。欧州統合の歴史は冷戦の歴史と重複する部分が大きく、フランスとドイツが再び戦争をしなかったのはEUのおかげなのか、それとも冷戦のおかげなのかを特定することも難しい。

 私もかかわった『ヨーロッパ統合史』の研究プロジェクト(代表者は北大の同僚の遠藤乾教授、成果は名古屋大学出版会から出ている)では「EU-NATO-CE体制」という概念を用いて欧州統合史を描く試みを行った。

 これは欧州に平和をもたらしたのはEUだけでなく、NATOと欧州の人権概念を確立し、域内の人権保障を担う欧州評議会(CE)の複合体制として見る視座である。この視座に立てば、ノーベル平和賞はEUだけでなく、NATOやCEにも贈られておかしくない。

 実際、人権尊重、自由、民主主義、平等といった価値は、EUができる前から存在しているCEによって推進され、CEの下にある欧州人権裁判所が制度として守ってきた価値であり、冷戦崩壊後の旧共産主義諸国はEUに加盟する前に「民主主義の学校」としてのCEに加盟した。

 その意味では経済統合から始まったEUだけでなく、欧州に人権擁護の制度を確立したCEも平和賞の対象となるべきであろう。

 確かにEUは歴史上に例を見ない壮大な試みであり、現在に至るまで多くのことを実現してきたし、その功績は称えられるべきである。しかし、ノーベル委員会が発表した理由に基づく「平和賞」を受賞する存在なのか、と言われると首をかしげたくなってしまう。

■ノーベル委員会の本音はどこにあるのか

 では、なぜこの時期に他の候補を差し置いてEUがノーベル平和賞を受賞したのだろうか。 ・・・ログインして読む
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筆者

鈴木一人

鈴木一人(すずき・かずと) 鈴木一人(北海道大学公共政策大学院教授)

1970年、長野県生まれ。立命館大学国際関係学部中途退学、同大学院国際関係研究科博士後期課程退学後、英国サセックス大学ヨーロッ パ研究所博士課程修了。筑波大学大学院人文社会科学研究科准教授などを経て、2008年から北海道大学公共政策大学院准教授、2011年から教授。現在はプリンストン大学国際地域研究所客員研究員。専攻は、国際政治経済、ヨーロッパ研究、宇宙開発政策など。著書に『宇宙開発と国際政治』(岩波書店、第34回サントリー学芸賞受賞)、共著に『グローバリゼーションと国民国家』(青木書店)、編著に『EUの規制力』(日本経済評論社)など。

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