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石原新党の「素顔」と「仮面」はどこまで強いか?

櫻田淳

櫻田淳 東洋学園大学教授

 石原慎太郎が東京都知事の職を辞し、新党結成を経て国政の場に復帰する意向を示した。これに関して常識的な評価や観測として示されているのが、次の二つである。

 第一に、石原の国政復帰は、民主党や自由民主党という二大政党に対する不満の受け皿としての「第三極」形成の動きには、劇的な刺激を与えそうだということである。

 確かに、橋下徹、渡辺喜美、河村たかし、さらには小澤一郎のように、「第三極」形成に役割を果たせそうな政治家の名前は挙がるけれども、石原は、人気や実績の点で突出した存在であることは疑いを容れない。実際に「第三極」形成が実現できるかはともかくとして、そうした期待が高まるのは、無理からぬことであろう。

 第二に、石原は、その民族主義性向が内外に広く知られた政治家である故に、彼の行動は、特に中韓両国の警戒感情を刺激している。

 たとえば、「読売新聞」(電子版・十月二十五日配信)記事によれば、中国紙「人民日報」(電子版)は、「石原氏は日本の政界で『第三極』を形成しようとしている。だが、第三極勢力は右翼に偏向し、保守的な政党だ」という見方を紹介し、韓国紙「聯合ニュース」は、「日本政界の右傾化が加速しそうだ」と報じた。安倍晋三(自民党総裁)の再登場に加え、石原の国政復帰は、自民党内でも民族主義色の濃い清和会系の政策志向が、日本政治の主流になったという解釈を後押しするものであろう。

 ただし、「石原が何をしようとしていて、それを実際にできるのか」に絡む「素顔」と「石原が何をしようとしていると思われているか」に絡む「仮面」には、自ずから相当な開きがある。石原の「仮面」は、実は大概の場合、石原を観察してきた人々の期待、思惑、警戒、願望を反映したものでしかない。

 前に触れた石原に対する中韓両国の露骨な嫌悪や警戒も、石原の「仮面」に幻惑された結果なのではないか。故に、石原が政治家として、あるいは石原新党が政党として、それぞれ持つ「素顔」と「仮面」の様相は、観察に値しよう。

 客観的な評価としては、石原新党もまた、石原の「個性」によっている限りは、「時限性」を免れない。石原新党の「核」としての政党「たちあがれ日本」は、それ自体としては誠に弱小な存在でしかない。しかも、既に齢八十を超えた石原には、政治家としての「余命」は、限られている。

 政党が、たんなる「議員の集まり」ではなく、相応の資金、組織、政策志向に裏付けられた結社であるならば、石原新党が政党としての「限界」を抱えている事実は、否定できまい。石原新党の実態は、「たちあがれ日本」に石原というブースターが取り付けられた政党に他ならない。

 故に、石原新党の実質上の活動期間は、多分、「次の次」の衆議院選挙までと観るのが無難なところであろう。石原新党の「素顔」とは、そうしたものであろう。

 もっとも、前に触れた民族主義性向の濃い石原の「仮面」は、中韓両国との確執が激化した昨今の情勢の下では、増幅されて世に伝わっているかもしれない。

 そして、これに加えて、既存の二大政党に挑戦するかのような石原の「仮面」は、世の人々を惹きつける材料としては、目下、誠に強烈なものになっているのではないか。

 故に、当面、注目すべきは、 ・・・ログインして読む
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筆者

櫻田淳

櫻田淳(さくらだ・じゅん) 東洋学園大学教授

1965年宮城県生まれ。北海道大法学部卒、東京大大学院法学政治学研究科修士課程修了。衆議院議員政策担当秘書などを経て現職。専門は国際政治学、安全保障。1996年第1回読売論壇新人賞・最優秀賞受賞。2001年第1回正論新風賞受賞。著書に『国家への意志』(中公叢書)、『「常識」としての保守主義』(新潮新書)など。

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