2012年11月16日
野田佳彦(内閣総理大臣)が衆議院解散に踏み切った。来月の衆議院議員選挙の争点として位置付けられるのは、「何を手掛けるのか」という趣旨の「政策の中身」ではなく、「統治を誰に委ねれば安心できるか」という趣旨の「信頼の程度」である。
過去の数度の選挙ならば、それぞれの政党が「政権公約」を掲げ、それに盛り込まれた「政策の中身」が争点になったけれども、民主党主導内閣の三年数ヵ月の執政は、「そもそも、その政策は実際に遂行できるのか」という疑念を浮かび上がらせ、国民との「信頼」を失墜させてしまった。今は、『論語』(顔淵第十二)にある「民無信不立(民、信無くば立たず)」の言葉に戻らなければならない時節である。
次の選挙後に浮かび上がる政権の枠組は、自民・公明両党を基軸にして、それを他の政治勢力が補完するという体裁になるであろう。民主党の「再生」の方途は、次の選挙後に生き残った面々で自民・公明両党主導の次期内閣に「徒弟奉公」の趣旨で加わり、きちんとした「統治の作法」を身に付けてもらうより他はない。
しかし、実際には 来月の選挙公示までには、民主党から遁走する議員は、続出するであろう。事実、野田が解散する意向を表明した直後、小澤鋭仁(元環境大臣)が民主党を離れ日本維新の会に加わるという報が流れた。おそらくは、小澤がそうであるように、少なくない民主党議員が、維新の会その他の「第三極」政党を「救命ボート」にする体裁で、民主党から抜けていくのであろう。
しかし、こうした節操の無さは、議員の「保身の論理」を露骨に反映したものであれば、日本の人々が最も嫌うものではないか。
こうした政治家の「保身」と「信頼の喪失」の風景を眺めるとき、筆者が思い起こすのは、司馬遼太郎が関ヶ原の戦いを題材にして書いた小説『関ヶ原』である。これは、関ヶ原に参陣した東西両軍諸将の「利」と「義」の様相を描いた秀作であるけれども、史実でいえば、「小早川秀秋の裏切り」に乗じて戦の最中に東軍に寝返った西軍諸将は、戦後、その戦功を認められるどころか、減封や改易といった冷遇を受けている。たとえば朽木元綱、小川祐忠、赤座直保といった面々である。
こうした西軍諸将に対する冷遇は、露骨な「保身」(利)に走った振る舞いが「信頼」を得るに程遠いという真理の一端を伝えている。目下、衆議院解散という段階に至って民主党から遁走する議員は、この西軍諸将と同じ類に他ならないであろう。こうした議員は、「信頼」の点からすれば論外の存在であり、選挙に際して確実に淘汰するのが日本国民の良識というものである。
故に、民主党の今後に関して注目すべきは、「それでも民主党に踏みとどまって、なおかつ生き残る議員は誰か」ということである。そうした議員は、この期に及んで遁走する議員よりも、「信頼」を寄せるに値するはずである。
加えて、この「信頼」は、諸々の「第三極」政党にも問われることになる。「第三極」政党が国民の「信頼」を得ていく上での条件は、次の二つである。
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