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最大の争点は選挙後の枠組みにある。各党はそれを語れ

後藤謙次 後藤謙次(フリーの政治コラムニスト、共同通信客員論説委員)

 10月29日に臨時国会が召集された直後のことだ。野田佳彦首相の側近から聞いた言葉が今も耳の奥底に残る。

 「総理は120人から150人程度のステーツマンだけの政党を作りたいと言っている」

 この野田発言こそがその後の首相の言動を理解するための最大のキーワードではないか。まず首相はこの時点で野党転落を覚悟していることだ。過去に多くの解散劇を見てきたが、野党転落を覚悟で解散権を行使した首相を見たことはない。麻生太郎首相(当時)が事実上の任期満了選挙に追い込まれたのは政権転落の覚悟がなかったからだろう。

 しかし、野田首相はそれとは全く正反対の道を選ぶ。11月7日の夜に民主党1回生議員を前に「能動的な解散をする」と語ったのも同じ思考回路の中にあったと言っていい。

 そして14日の党首討論で首相は自民党の安倍晋三総裁に対して16日の衆院解散を明言した。その上で安倍氏との討論をこう締めくくった。

 「技術論ばかりで覚悟のない自民党に政権は戻さない」

 首相が言いたかったのは「覚悟」の2文字だったに違いない。筆者はこの党首討論を現場で取材していたが、そのことをひしひしと感じた。

 野田首相の表情は「現職首相でなおかつ政権与党の党首」ではなく「野党党首」の顔に変貌を遂げていた。野田の迫力に気圧された安倍氏は守りに回った。森喜朗元首相も「党首討論に限って言えば野田君の勝ちだった」と論評した。

 党首討論に続いて野田首相は攻撃の矛先を党内に向けた。「例外なき世襲候補の禁止」「公認候補の誓約書提出」「TPPへの交渉参加に向けて協議加速」……。

 ある面で野田首相の思惑通りだったとみていいだろう。これまでTPP参加に真っ向から反対してきた山田正彦元農相らは相次いで離党。極め付きは鳩山由紀夫元首相の立候補断念だった。

 思い起こせばかつての自民党の小泉純一郎元首相を彷彿とさせる。2003年の衆院選で中曽根康弘、宮澤喜一という両元首相を引退に追い込む。さらに2005年の郵政解散で小泉氏の言う「抵抗勢力」を党内から一掃した。文字通り「純化戦略」を押し通した。それが結果として5年にわたる長期政権の原動力になった。

 ただし野田首相の「純化戦略」は全く狙いを異にする。政権延命のためではなく、将来の「政権復活」に向けての土台作りである。

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