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課題が山積、「中国・習李5年体制」のスタート

藤原秀人 フリージャーナリスト

 中国の国家副主席をつとめる習近平氏(59)が11月15日、北京で開かれた共産党第18期中央委員会の初会議で党トップの総書記に選出された。総書記を退いた胡錦濤氏(69)は党中央軍事委員会の主席も退任し、習氏が後を継いだ。

 習氏と党内序列第2位になった李克強氏(57)が率いる「習李体制」の発足だが、相変わらずの密室での指導者交代だった。しかし、毛沢東氏→鄧小平氏→江沢民氏→胡錦濤氏という1949年から中国を統治する共産党のトップの変遷を振り返ると、今回の人事が最も整然としていたといえる。

 毛氏→鄧氏は、直接つながっていない。毛氏は文化大革命末期の1976年に死亡。毛氏から「あなたがやれば、私は安心だ」と言われたという華国鋒氏が毛氏の死後にトップになったが、鄧氏との闘争に敗れた。

 鄧氏は形式的にはトップの座につかず、胡耀邦、趙紫陽両氏を操った。2人とも民主化運動に甘いと見ると解任し、1989年の天安門事件後に上海市党書記だった江沢民氏(86)を登用した。江氏の後継者となった胡錦濤氏を起用したのも鄧氏だった。毛氏は絶対的な独裁者だった。鄧氏には改革開放に反対した勢力がいたので「独裁度」は8割くらいか。鄧氏が1997年に死去した後も、江氏は独裁者にはなれず、集団指導体制のなかでのトップに過ぎなかった。

 それでも、江氏は2002年に総書記の座を降りた後も影響力を保つため、約2年間、党中央軍事委員会主席を胡錦濤氏に譲らなかった。胡錦濤氏は今回、総書記と党中央軍事委員会主席の双方から「完全引退」した。長老が介入する中国政治のあり方をただすため率先して引退したのか、江氏ら長老に完全引退を迫られたのかは定かでないが、人事の制度化がようやく実現した点は評価したい。

 しかし、習李体制が引退した胡錦濤氏や長老らの影響を受けないわけにはいかない。最高指導部を構成する政治局常務委員の顔ぶれを見ると、習李両氏を除く張徳江・重慶市党委書記(66)、兪正声・上海市党委書記(67)、劉雲山・党中央宣伝部長(65)、王岐山副首相(64)、張高麗・天津市党委書記(66)の5人は江氏や曽慶紅氏(73)ら長老に近い面々だ。胡錦濤氏や李克強氏と同様に共産主義青年団(共青団)で活躍した李源潮氏(62)や汪洋氏(57)は常務委員就任が一時は確実視されたこともあったが、江氏らの反対が強かったようで政治局員にとどまった。

 では、共青団系が力を失ったのかというと、そうとも言い切れない。党の内規では、68歳以上は常務委員になれない。習李体制のトップ7のうち、5年後の第19回党大会時に67歳以下なのは習李両氏しかいない。

 つまり、新体制は5年後に大幅に変わるのだ。常務委員以外の政治局員は18人で、年齢を考慮すると5年後に常務委員になる可能性があるのは11人で、このうち6人が共青団系だ。なかでも内モンゴル自治区党委員会書記の胡春華氏は49歳と若い。チベット自治区での勤務が長く、胡錦濤氏と極めて近い。胡錦濤氏の影響はなくならないのだ。

 私は習氏が沿海部にある浙江省の党委員会書記だった7年ほど前に1時間ほど話したことがある。

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