2012年11月26日
本書が出版されたのは、ちょうど東日本大震災が起き、福島第一原発が危機的な状況をかろうじて脱した2011年3月末のことであった。それ以来、日本では原子力技術と政治の問題、科学者や技術者が政治にかかわる問題に明確な答えを出せないまま、原発の再稼働や将来に向けてのエネルギー政策が決められない状況にある。
これは、宇宙開発においても同様である。政治家は政治全体の中で国家の目標を定め、その目標に合致した手段としての宇宙開発を考えるが、どのような技術が利用可能で、どのような技術を開発すべきかについての知識はほとんど持たない。
逆に、科学者や技術者は技術に関する知識やどのようにすれば新しい技術が開発できるかをよく知っており、国家予算を獲得して研究に邁進することを目標としているため、他の政治的な目的や国家全体の目標とは無関係に自らの研究を進めようとする。
こうした「手段」としての宇宙開発と「目標」としての宇宙開発のズレ、すなわち政治家が考える宇宙開発と科学者・技術者が考える宇宙開発とのズレが各国で異なっており、歴史的経緯の中で変化してきたことを描いたのが本書である。
冷戦期の宇宙開発は、「米ソ宇宙競争」を基礎とし、欧州、日本、中国、インドには、その両国にキャッチアップするという安定的な国家目標があったため、宇宙開発の「ゲームのルール」が設定されてしまうと、そのゲームの中で科学者や技術者が時には協力し、時には競争しながら宇宙開発を猛烈な勢いで発展させた。
現在も、冷戦期の宇宙開発のイメージから抜け出せず、国家間競争としての宇宙開発、技術開発競争としての宇宙開発という見方を維持している宇宙政策研究者も数多い。
しかし、冷戦が終わると、これまでの「ゲームのルール」が維持できなくなり、新しい宇宙開発のモデルが模索されるようになった。また、冷戦期に技術開発が急速に進んだことで、過去の技術の多くが陳腐化し、「コモディティ化」していったことで、資金力の乏しい中小国や途上国も宇宙開発に参入できるようになってきた。
これによって、宇宙開発は軍事・安全保障技術としての「ハードパワー」の側面は維持しつつも、グローバルに共有する「社会インフラ」としての性格を強めるようにもなってきた。また、多くの国が宇宙技術にアクセスできるようになったことで、宇宙開発能力を「ソフトパワー」として利用する新興国や途上国が増える一方で、すでにかなりの程度の宇宙開発能力を備えた国家にとって、巨額の予算を投じて「ソフトパワー」を維持するメリットは薄れ、宇宙開発をどのように方向づけていくかが大きな問題となってきている。
とりわけ大きな苦悩を抱えているのがアメリカの宇宙政策であろう。本書でもアメリカの宇宙開発は「ハードパワー」と「ソフトパワー」から「社会インフラ」としての宇宙開発へと変化しており、「公共事業としての宇宙開発」という側面が強くなっている点を指摘した。
本書を書き終えてから、アメリカではスペース・シャトルの運用が終了し、米航空宇宙局(NASA)は民間宇宙企業へのアウトソーシングを進めている。IT分野で大きな資産を持つ富裕層がNASAと契約して、より効率的な宇宙輸送手段を開発しているのを見ると、こうした「社会インフラ」となった宇宙システムが民間企業によって推進され、ますます宇宙開発における国家の役割が減少していると言わざるを得ない。
しかも、アメリカは「財政の崖」と呼ばれる国家予算の危機に直面しており、かつてのように国家主導による宇宙開発を進めることはより一層難しい状況にある。
同じことは日本にも言えるだろう。
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