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総選挙、忘れてはならない外国人労働者政策

政策男子部 山中翔大郎

 消費増税の是非、TPPへの賛否、原子力発電への依存度低下、国会議員の世襲の是非。14以上の勢力が入り乱れる総選挙に際して、議論すべきイシューはこれらに留まらない。政党の側が提示するイシューに左右されることなく、個々の国民が重視するイシューに対して、各政治勢力がどのように取り組んでいくのかを問わなければならない。今回は、日本がグローバルな成熟国家として飛躍していくために欠かせない外国人労働者政策のあり方について論じていく。

 前回の衆院選でも参院選でも、民主党のマニフェストでは外国人労働者に関する表記はなかった。しかしこの2年の間、看護師・介護福祉士、研修生・技能実習生やその他日本で働く外国人に関する問題は、解決されることなく存在している。ちなみに、自民党の2010年マニフェストには、高度技術者の受け入れと外国人児童への日本語教育の充実に関しての記述があった。

 2012年8月末に大阪維新の会が発表した維新八策と、その後に策定された日本維新の会のマニフェストでは「外国人人材、女性労働力(→保育政策の充実へ)の活用」と「外国人への土地売却規制その他安全保障上の視点からの外国人規制」の二点に関して言及がある(後者の「安全保障上の視点からの外国人規制」という項目がどのように現実になっていくのかが見えず、何とも不気味だが)。

 衆院選後の政権与党はどのように外国人政策に取り組んでいくのだろうか。どの政党が政権をとろうとも、日本で働いている外国人たちがいる事実、様々な問題を抱えているという事実には変わりない。いずれは高齢化社会と労働者人口の減少という点からも、何らかの一貫した政策の提示は必要となってくるだろう。今回はフィリピンからの受け入れに焦点をあて、日本の外国人労働者政策の現状についてみていきたい。

外国人看護師・介護福祉士

 TPPとどのように向き合っていくかの議論が活発であるが、今から4年前、同様に議論となったのが東南アジア諸国との初期のEPA(経済連携協定)である。フィリピン、インドネシア、ベトナムとのEPAでは、日本は外国人看護師、介護福祉士を受け入れる協定を結んだ。

 しかし当初から、短期間の働きながらの学習で看護師・介護士の試験を日本語で受ける、という受け入れのハードルの高さが指摘されてきた。フィリピン側でも2008年のアロヨ政権時には、マニラのビジネス街マカティ地区で繰り広げられた反政権デモの主張の一つとして、このJPEPA(日比経済連携協定)の内容ではフィリピン労働者の権利擁護が不十分であり、不平等条約であるとの声が上がっていた。

 看護師に関して言えば、3年の滞在期間中に3回の受験機会があり、そこで国家試験に合格できなければ原則帰国となる。来日2年目の2010年度の合格率は1.2%であり、全体平均の89.5%に全く届かない数字となった。

 この結果を受け、集合研修や学習助成金、試験へのふりがなの付与など措置が取られ、2012年度には11.3%まで合格率が上がった。また、不合格時には再受験のための1年間の滞在延長も認められるようになる。しかし、受け入れ態勢が不十分な病院では勉強環境が整っておらず、合格は困難となる。合格したとしても言葉の壁を理由に、現場で看護助手としてしか扱われない、など課題も多い。

外国人研修生・技能実習生

 外国人研修生・技能実習生の制度も見直しが同様に必要だろう。名目としては一定期間のトレーニングを経て、日本の技術を学び、持ちかえるという制度である。筆者は前回のマニラ訪問時、100人を超える実習生の集団と同じフライトになった。彼らは長野県のレタス農場で半年間働いていたという。帰国を大喜びし、機体が揺れる度に歓声をあげ、アトラクションさながらの盛り上がりだった。空港で妻と子供が待っていると言い、嬉しそうに片言の日本語でいろいろ話かけられた。

 しかし、この制度は2007年の中国人研修生によるあっせん団体職員殺傷事件に顕在化したように、過酷な労働、多額の保証金、自由な移動の制限など、この制度も問題の温床となっている。国連人権理事会からは、これらの問題点は「奴隷制度や人身売買と捉えられる程の深刻化なものである」と日本政府への改善要求が出されている。米国国務省の国別人権報告書でも研修生への移動制限、賃金不払い、保証金徴収などの不正行為が指摘され、早急な解決を要求されている。国外からも強い批判の下にある制度なのである。

フィリピンパブと興行ビザ

 フィリピンからの労働者を考えるときに忘れてはならないのは、パブで働く女性たちである。全国津々浦々、大都市から半島の岬の果ての町まで、あらゆるところに店を構えるフィリピンパブ。先日訪れた山奥のとある温泉街、夜には川のせせらぎしか聞こえずひっそりと静まりかえる町でも、フィリピンパブだけは営業していた。

 そこでは若者の男女グループがカラオケ代わりに盛り上がり、壮年の紳士は料亭の女将相手の如くママとしんみり話し込む。かつて親父たちのロマンスの独断場であったパブも、今では多種多様な役割を果たしながら地方の夜を支えているのだろう。

 パブで働く女性が利用してきたのは興行ビザ制度であった。1981年、東京とマニラの間でエンターテイナー(歌やダンスの専門技能者)のビザ発行を促す協定が結ばれた。こうして短期の興行ビザにより合法的にパブやスナックなどの産業での出稼ぎが可能となった。

 背景には、1970年代に盛んだった日本人男性のアジア諸国への売春ツアーが多方面からの抗議で自粛に追い込まれたことがあり、逆に他のアジア諸国からこうした産業に従事する女性を「輸入」する、という構図が見られるに至る。

 この制度のもと数十万人もの外国人女性が就労していたといわれるが、2004年に米国国務省の人身売買報告書により法整備と被害者保護の不十分さを指摘され、日本は監視対象国に指定される。こうした批判を受け政府は2005年に入管法を改正、従来のように興行ビザの取得によるエンターテイナーの入国に歯止めをかけた。

 こうしてフィリピンからの興行ビザによる新規規入国者数は2004年の8万2000人強から、2006年には約8500人と10分の1程度に激減する。しかし制度が変わってもパブがなくなるということではない。実際、偽装結婚による来日と労働が報告され、またこうした就労がより一層女性たちの安全を危うくしている現実がある。

出稼ぎ大国フィリピン

 様々な制度のもと日本で働くフィリピンの人たちがいるのだが、これは両国間の単なる経済的な格差だけが理由ではなく、多くの外国人労働者を送り出しているフィリピン特有の社会構造がある。祖国から離れ、パブやスナックでのエンターテイナーを始め、建築業や工場、船員、家政婦、介護の 現場で働く人たち。現在、フィリピン海外労働者は合法非合法を合わせ約900万人(フィリピン全人口の1割)おり、その送金額はフィリピンのGDPの約10%を占める。

 このような社会構造には100年以上の歴史がある。

 第1期は20世紀初頭、ハワイやアメリカ西海岸のプランテーションでの労働。

 第2期としては第二次大戦後の米軍用基地建設の雇用需要によるものである(グアム、沖縄、ウェーク島など)。同時に専門技術を持つ者(会計士、看護師、医師)が職を求めてアメリカに渡ることも増え、この時期は頭脳流出の時代とも呼ばれた。

 第3期は1970年代半ば、オイルショックによる労働力需要で中東における建設業や製造業に従事する時期だ。この時期にマルコス政権が失業問題、外貨獲得、新技術の導入を目標に海外雇用政策を導入した。

 第4期は1980年代からの「出稼ぎの女性化」といわれる時期である。第三次産業の領域(事務、医療、家庭、エンターテイメント)での女性の進出であり、1990年代半ばには男性労働者数を上回る。

 しかし1980年代後半にアキノ政権の下で海外労働者保護対策が出される。これは女性化のもとで、家政婦としての労働において、劣悪な労働条件や雇用主からの肉体的・性的虐待などの被害の問題化が背景にある。そしてラモス大統領下で労働者保護、熟練労働のみの送り出し、海外雇用の最終的な停止を目指す1995年法が制定される。

 だが、2001年にアロヨ大統領は経済回復まで海外労働者がまだ必要であるとの見解を示す。2012年、主要株価指数が過去最高値を更新した今でも、依然として海外労働者の数は減ることなく、海外送金に依存する経済は変わっていきそうにない。

適切な外国人労働者政策を目指して

 人身売買や奴隷制度のようなケースばかりとなるという、こうした状況を改善しようという試みの一つが、IOM(国際移住機関)のJFC(日本人とフィリピン人とのハーフの子どもたち)サポートプログラムである。彼らは言葉の問題や不十分な教育、また母子家庭が多いことを理由に、経済的にめぐまれないことも多く、労働搾取や人身売買の被害に合いやすい。

 このプログラムは、こうしたJFC、あるいは他の外国人労働者にとっての持続可能な移住と労働のモデルケース構築を目指すものである。現在、この制度を通して東京の大手教育企業に勤めるミカス・マツザワさんは「厳しい労働環境で帰国してしまう話もよく聞くし、初めは不安も大きかった。日本語や文化は難しいことも多いが、慣れれば日本の生活は便利で楽しいことも多い」と話す。こうしたイメージの改善が増えることで、名実ともに日本への好感度が向上することを願わずにはいられない。

 マニラにある海外女性労働者支援のNGO、バティス女性センターのローズ・オテロ代表は「日本で働く外国人は様々な問題に直面しても、それでも日本が大好きなのです。彼らが憎むのは、外国人労働者に対する差別的な政策であり、もし外国人労働者の権利を充分に保護する制度をしっかりと作っていけば、日本にとっても、日本が好きな世界の人たちにとっても、これほど素晴らしいことはないと思います」と述べる。

 日本は、経済規模で中国に抜かれ、文化政策で韓国に負け、そして実際に来てみてもひどいことばかり、となると本当に世界から見向きもされなくなる。総選挙の結果、政権を担うことになる政党は、真にグローバルな成熟国家を目指した、外国人労働者政策に関するビジョンの提示と、その実践が問われる。

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山中翔大郎(やまなか・しょうたろう)

1986年生まれ。25歳。一橋大学大学院社会学研究科修了。国連広報センターでのインターンを経て、米系金融機関勤務。日本経済システムデザイン研究会(ZESDA)理事。政策男子部員。

政策男子部とは?>永田町や霞が関、地域の政策形成の現場を知り、本質的で具体性ある政策づくりに関わってきた20~30代の男子を中心とした部活です。社会を担う責任世代として、私たちは政策を練り、汗を流し、時代の潮流を作っていきたいと志しています。部活を通して、世代や立場を超えた多くの方々と出会っていきたいと考えています。

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