2012年12月14日
民主主義の代表的思想家ジャン・ジャック・ルソーは、有名な『社会契約論』で、「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう」と述べた。
この言葉は、今の日本にも当てはまるかもしれない。民主党政権は、前回の総選挙では華々しい理想を掲げながら、選挙が終わってしばらくするとその公約を無視して、消費税導入などでそのマニフェストと全く異なる政策を実行したからである。
それなら、人びとは総選挙において主権者として自由に主権を行使する他ない。ところが、日本では、選挙期間中には逆に人びとは自由に言論を公表することができなくなり、さらに今回の総選挙後には民主主義が脅かされる危険すらあるかもしれない。
ルソーにならって言うと、「日本の人民は自由だと思っているが、それは大間違いだ。彼らが自由なのは、議員を選挙しない間だけのことで、議員を選挙する間には自由ではなくなる。そして、議員が選ばれるやいなや、日本人民は奴隷となり、無に帰してしまう」ということになってしまうかもしれないのである。
■公職選挙法の反自由主義的・反民主主義的解釈
今の公職選挙法では、選挙運動において、定められている葉書やビラ以外の「文書図面」の頒布が禁じられている。もちろん、この規定が作られた時にはインターネット時代の到来は予期されていなかったのだが、インターネットも「文書図面」に相当すると解釈されて、サイトやブログ、電子メール、ツイッターなどで投票依頼をすると抵触する恐れがあるとされている。
民主党政権下で、これを改正することが与野党で議論されていたのだが、結局実現しなかった。だから、アメリカや韓国のようなインターネット選挙があまり日本では見られないのである。
しかも、この禁止規定は、政党や候補者だけではなく、一般の人びとにも適用されるという説明がしばしばなされている。だから、これを厳格に解釈すると、一般の人びとがインターネットを通じて、選挙について特定政党・特定候補者に有利な意見やデータなどを公表すると逮捕される危険があるということになってしまう。
実際には一般の人びとへの取り締まりはあまりおこなわれていないから、これは実際には杞憂かもしれないのだが、総務省選挙課などに問い合わせても、合法と違法の間の区別に関して明確な答えは返ってこない。だから、このような懸念が多くの人びとの意見表明にとって心理的な足かせになってしまっている。
実際には、公職選挙法で縛られているのは、「政党その他の政治活動を行う団体」が「選挙運動のために使用する」ことであり、「選挙運動のために使用する文書図画」の頒布である。しかも、インターネット情報は、通常の日本語では、ビラなどのように「頒布できる文書」ではなく、「公開されている文書」である。だから、一般の人びとのインターネット上の意見表明が規制されているという解釈は、拡大解釈であり、これは自由と解釈すべきだろう。
むしろ、ある「インターネット哲学者」(諸野脇正)が主張しているように、選挙活動自体についても「選挙活動は、『本来』インターネット上でするべきものである/インターネット上の選挙活動は法律で禁止されていない/ホームページへのアクセスは有権者の自発的な行為である/有権者の自発的な行為を禁止するのは不当である」という考え方の方が説得力がある(http://www.irev.org/senkyo/free.htm)。
なぜなら、路上で選挙カーが呼号しても限られた人にしか伝わらないし、政策を細かく説明することができず騒音にもなるのに対し、インターネットなら政策を詳しく説明できるし、いわば「選挙事務所内の資料室の公開」のようなものだから、それを許しても誰の迷惑になることもないし、それを自由に閲覧するのは有権者の自由であるから、というのである。
そもそも、公職選挙法の禁止規定は、「文書図画の頒布」はコストがかかるという想定の下に金権選挙を防ぐために作られたものだ。でも、インターネットではこのようなことはなく、コストがあまりかからないから、インターネット選挙を解禁することは、むしろ金権選挙を防止することに役立つ。
こう考えてみると、政党や候補者・政治団体のインターネット選挙は解禁されるべきものなのだ。まして、政治団体の選挙活動に相当しない一般市民の意見表明が、法律的に規制されていると解釈するのは、人びとの言論活動の自由を縛るものであり、反自由主義的で、反民主主義的だとしか言いようがない。
■日本は反自由主義的・反民主主義的な国家なのだろうか?
橋下徹大阪市長が、公示後にツイッターで「日本未来の党」の原発政策を批判したことが話題になった。橋下氏は候補者ではないが、「日本維新の会」の代表代行だし、公選法上は候補者以外でも選挙運動は規制されているからだ。橋下氏は公職選挙法の禁止規定を「バカみたいなルール」と述べて批判したが、藤村修官房長官が「一般論で言うと記載した内容によっては公選法の規定に抵触する」と述べ(12月5日)、橋下氏も「もしかしたら選挙後に(公職選挙法違反の疑いで)逮捕されるかもしれない。そのときは助けてください」(12月9日)と述べて断念した。それ以来、選挙に関わる政治家からのインターネットやツイッターによる発信はない。
他方、市民たちは、インターネットで自分たちの政治的見解を公表することが公選法の規制にふれるのではないか、と心配しながら選挙を見ている。たとえば、「このような危険な状況に対して、僕らは何が出来るのか? 今何もしないで、いいのか? とても心配なので、ブログでその思いを書きました。これは選挙違反になるのでしょうか?」というようなメールがしばしば市民の間で飛び交っている。慎重に発信をあきらめる人もいるし、危険を心配しながらも果敢に発信する人もいる。
そもそも、民主主義の基礎は人びとの議論にある。それなのに、インターネットを使って市民たちが選挙について自由に意見を表明できないというのは、多くの論者が指摘しているように、どう考えても異常で、反自由主義的・反民主主義的である。一体、今の日本の選挙では、どういうことが起きているだろうか?
まず、新聞やテレビをはじめ大手のメディアは、選挙期間に入ると、特定政党に有利ないし不利な記事や論説を掲載したり放送することを自粛するようになる。他方で、各政党の選挙公約や選挙演説などは可能な限り、中立的にバランスよく伝えようとする。その結果、人びとに対しては、これらの情報を自分でよく調べて、よく考え、投票するように勧めることになる。そのような論説や放送は数多くなされているが、それ以上に踏み込んだ議論が提供されることは少なくなる。
しかし、熟議には情報の提供だけでは充分ではない。なぜなら、多くの人びとは政治について考えることに慣れていないので、自分で情報を読み解くことは難しいから、そのような時間やエネルギーをかけずに、結局は棄権したりムードに流されて投票したりすることが多いからだ。
だから、そうやって提供された情報について、専門家や一般の人びとが多様な議論を提示し、それを多くの人びとが見られるようにする必要がある。人びとは、それらを参考にすれば、自分で考えることができるし、意見を形成して投票できるようになる。インターネットで人びとが自由に意見を述べることができるのならば、それを通じて多くの人びとが議論に加わることもできよう。
■激動時におけるインターネット・メディアの重要性
このような必要性は、公示直前に政治的激動が生じている場合には一層大きい。今回の総選挙の場合、日本維新の会ができたのも比較的最近だし、太陽の党と合併することが決定した(11月17日)のは、公示(12月4日)の約2週間前だ。さらに、日本未来の党に至っては、結成が発表されたのは11月27日だから、公示のわずか約1週間前である。
だから、公示の時点ではこれらの政党の最新状況については、書籍や月刊誌などでは全く情報や議論は存在しなかった。週刊誌でも、せいぜい1回発行されたくらいだから、掘り下げた分析や議論はほとんど現れていないだろう。
だから、これらについて報道できたり、若干の議論を紹介できたのは、活字メディアではほとんど新聞だけである。しかし、新聞も公示後は先述のように中立的な報道に徹する必要があるとされているから、意義や問題点についての鋭い記事や議論の紹介は少なくなってしまう。
つまり、このような激動の時には、活字メディアは決定的に立ち遅れてしまう。だから、活字メディアだけを見ていると、総選挙で最新の展開に関する重要な議論にはほとんど接することができなくなってしまうのである。
この点で、インターネット・メディアは大きな利点を持っている。そのメディアの種類や特性にもよるが、極めて速やかに最新の状況に即した議論を紹介できるからである。
実際に筆者は、解散されたので、日本維新の会の石原代表について、「戦後初の『極右党首』登場――『日本維新の会』と石原新党の合併が意味するもの」(2012年11月20日)、日本維新の会について「『日本維新の会』も極右的政党になるのか?――『極右党首』が招く戦争への危険性」(2012年11月22日)、安倍自民党を含めて総選挙について「総選挙後に日本は『戦前』に戻るのか?――二大政党制の崩壊と右翼的体制変革の危険性」(WEBRONZA 2012年11月29日、民主党について「民主党政権はなぜ失敗したのか?――理念を軽んじた『政党』の自壊」(2012年11月30日)、そして日本未来の党について「『日本未来の党』は希望の星たり得るか?――『脱原発への結集』による真の第3極」(2012年12月3日)と矢継ぎ早にWEBRONZAで論考を掲載した。
幸い、これらは非常に多くの反響を得て、アクセスランキングでもしばしば最上位になり、最初の「戦後初の『極右党首』登場」は、ツイッターやフェイスブックなどでも異例の多大な反響があり、最後の「『日本未来の党』は希望の星たり得るか?」でも、フェイスブックのお勧めが550を上回っており、掲載後10日にもなるのに今でもまだ上位5位に入っている。
筆者としてこれは望外の喜びであるが、同時に考え込んだ。よく考えてみると、
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