メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

「左派・リベラル系」政治勢力の零落と再生への条件

櫻田淳 東洋学園大学教授

 二〇一二年十二月の衆議院議員選挙は、実質上、民主党に「懲罰」を加えるのと同時に、日本の「左派・リベラル系」政治勢力を「壊滅」に追い込む選挙であった。こうした結果を予測する声は、選挙前から既に聞かれていたものの、共産・社民・日本未来三党に民主党内横路・菅系を加えても二十数議席獲得という結果は、事前の予測を超えるものであった。

 何故、「左派・リベラル系」政治勢力は、零落したか。このことを考え併せつつ、筆者が先刻の選挙に際して最も慄然としたのは、北海道の選挙結果である。

 北海道では、小選挙区全十二席を総て自民・公明両党で独占し、民主党は比例区で横路孝弘、荒井聡の両名が復活当選を果たしただけに終わった。小選挙区中、1、8、9の三つの区を自民党が取ったのは、初めてである。

 北海道は、政治風土の上では、長らく「左派・リベラル系」政治勢力の牙城として語られてきたけれども、筆者は、北海道の発展を阻んでいるのは、「横路孝弘」的なものと「鈴木宗男」的なものの二つの性向であると考えてきた。

 「横路」的なものとは、「綺麗事を口にしても大したことを実行できない。何かを実行しようとして失敗しても責任を取らない」性向のことである。この性向は、今では「鳩山由紀夫」的と言い換えてもよいかもしれないけれども、その本家本元は、北海道知事としての横路である。横路は、北海道知事在任時、「世界・食の祭典」という催事の失敗や道庁汚職事件への対応で批判されたものの、明確な責任を取らずに国政の場に復帰し、現在に至った。

 「鈴木」的とは、「北海道の地域性・土着性を強調する割には、中央に露骨に依存しようとする。しかも、そのことに躊躇(ためら)いを感じているような素振りも見せない」という性向である。鈴木は、近年は北海道に根ざした「新党大地」という政党を主宰していたものの、自民党在籍時には、金丸信の庇護を受けて頭角を現した政治家として、田中角栄以来の「利益誘導」手法を露骨に発揮していた。無論、こうした性向は、他の地域でも濃淡の差はあれ見られるけれども、北海道においては鮮明に表れている。

 こうした二つの性向は、一般化すれば、「統治に絡む能力と責任意識の欠落」と「国家への平然とした寄生」と呼び換えることができよう。そして、それこそが、「左派・リベラル系」政治勢力の零落を決定的なものにしたのではないか。

 北海道の他に、「左派・リベラル系」政治勢力の零落を印象付けたのは、東京都知事選挙の結果であった。共産・社民・日本未来三党その他の支援を受けた宇都宮健児(弁護士)の得票率は、十五パーセント程度でしかなかった。「左派・リベラル」政治勢力は、「脱原発」を旗印に掲げようとしたけれども、その目論見は、完全に外れたのである。

 そもそも、日本の「左派・リベラル系」政治勢力は、たとえば英国労働党、フランス社会党、あるいはドイツSPD(社会民主党)の軌跡から、一体、何を学んだのか。特に、英国労働党やドイツSPDの「政権獲得」の過程から、彼らは、どういう教訓を引き出したのか。

 筆者は、日本の「左派・リベラル系」政治勢力の再生には、次の二つの条件があると考える。

 第一に、憲法第九条改正を通じた国防軍創設の動きに「支持」を与え、過去半世紀以上も続く軍事・安全保障上の「神学論争」に自ら終止符を打つことである。

 その上で、「東アジア」重視、「非軍事手段」重視の外交・安保政策方針を打ち出す。大体、英国労働党やドイツSPDは、自国の軍隊や軍事同盟としてのNATO(北大西洋条約機構)の枠組を否定したであろうか。

 第二に、

・・・ログインして読む
(残り:約547文字/本文:約2037文字)