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日米のスピーチを聞いて改めて考えた政治家のコミュニケーション力

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 第二次安倍政権ができて、安倍晋三首相のスピーチを聞く機会が多くなった。他方、最近たまたま、『オバマ再選演説集』(朝日出版社)を購入し、その付属CDを繰り返して聞いてみた(注1)。

 そこで改めて、日本の政治家のスピーチや話し方、コミュニケーション能力が気になりだした。演説の名手(?)といわれた野田佳彦前首相や小泉純一郎元首相のスピーチも思いだした。

 小泉さんのスピーチはキャッチフレーズが心と頭に残ってよかったが、近年それ以外に、スピーチではこの人、という日本の政治家がなかなか思い浮かばない(注2)。

 他方、思い出すことが一つある。それは、2009年に政権交代が起きた後の第173回国会における最初の鳩山由紀夫首相(当時)の所信表明演説である。

 そのわかりやすい言葉使いとそこに盛り込まれた庶民のエピソードは、従来の所信表明演説とは大きく異なるものとして、政権交代を大いに印象付けたし、話題にもなった。

 その演説づくりに中心的に関わった松井孝治参議院議員と劇作家の平田オリザ元内閣官房参与によって書かれた本『総理の原稿』(注3)には、その演説の工夫と努力が描かれている。それは、これまでの生活感覚からかい離した政治や政治演説を変えていくために、政治と言葉の新しい関係を構築する努力でもあったという。

 その演説は、確かに従来の首相の演説に比べると多くの工夫があったことは感じられる。だが、その後の鳩山元首相の言動からしてみると、やはり上滑りで、空回りしていた感をぬぐえない。別の言い方をすると、所信表明演説の内容自体はいいのだが、その内容と言葉・ワーディングが、鳩山元首相のキャラに合っていないのだ。彼の経歴とバックグラウンドと、演説の内容がマッチしておらず、言葉だけが浮いてしまっている感じなのだ。

 それと比べると、先述のオバマ演説集とCDに掲載され、聞くことのできるオバマ大統領とミシェル・オバマ夫人の演説には、大きな違いがある。聞いてみれば、いかに磨かれていて優れているかがわかる。

 彼らの演説は、生きた人間・生活者の自分の目線(注4)から、自分の実体験、国民のパーソナルなエピソード、政策そして国・社会の理念を相互にリンクさせながら語りかけているのだ。しかも、狭い意味で政治に関わる人材としての政治家や官僚だけではなく、国民・有権者に語りかけ、感じさせ、一体感をもたせ、味方につけるように話しているのだ。

 それによって、政治や政策は、国民・有権者一人一人にも関係あるもので、自分の問題であるということを感じさせているのだ。まさに主権者である国民への言葉であり、メッセージである。民主主義(社会)では、国民への言葉が大切だ。オバマやミシェルのスピーチは、それこそまさに民主主義(社会)における演説なのだ。

 またスピーチ(演説)は、実はスピーカー(演説者)のためのものではない。スピーカーは、自分の言いたいことはわかっている(はずな)のであり、本来はわざわざ演説する必要はない。スピーチは、ある人がいて、その人が自分の考えや意見を他者(つまり聴衆)に伝えたいから存在するものだ。つまりスピーチは、スピーカーのためではなく、聴衆のためのものであるということだ。

 しかもスピーカーが言うことが、そのまま聴衆に伝わるとは限らない。そのことはつまり、スピーチで大切なのは、スピーカーが何を言ったかではなく、聴衆の心に何が残り、どんな言葉を残せるかが重要であるということだ。

 これらのスピーチの観点から考えたときに、日本の政治家のスピーチは

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筆者

鈴木崇弘

鈴木崇弘(すずき・たかひろ) 城西国際大学客員教授(政治学)

城西国際大学大学院国際アドミニストレーション研究科客員教授。1954年生まれ。東京大学法学部卒。マラヤ大学、イースト・ウエスト・センターやハワイ大学大学院等に留学。東京財団の設立に関わり、同財団研究事業部長、大阪大学特任教授、自民党の政策研究機関「シンクタンク2005・日本」の設立に関わり、同機関理事・事務局長などを経て現職。中央大学大学院公共政策研究科客員教授。著書に『日本に「民主主義」を起業する――自伝的シンクタンク論』『シチズン・リテラシー』『僕らの社会のつくり方――10代から見る憲法』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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