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 中国における反日教育に顔を歪める人々は多いかもしれない。それが根拠のない反日運動の原因であるというのだ。だが、よく考えてみようではないか。日本をはじめとする諸外国が長いこと中国国民にどれほどの屈辱を加えてきたことか。それを思えば、執拗な反日教育の理由も理解できるではないか。「我が国が、明治維新の大業を完成するために、国民の間に極端な国家主義を鼓吹」したのと同談ではないか。

 早とちりされては困る。

 これは私の議論ではなく、1931(昭和6)年秋、石橋湛山(1884年~1973年)が『東洋経済新報』に書いた「満蒙問題の根本方針如何」の一部である(岩波文庫『石橋湛山評論集』に所収)。石橋湛山は、戦後の1956(昭和31)年12月末からわずか65日だが首相を務めた。激務のためか軽い脳梗塞に倒れて、潔く身を引いた。戦時中も軍部に屈せず、経済合理主義をささえに、リベラルな言論を貫いた。

拡大自民党総裁時代の石橋湛山=1956年

 この文章で石橋湛山は二つの主張をしている。まずは、中国の理不尽に見える議論も歴史を考えれば無理もない。我が国だって相当に理不尽なことをしてきたではないか。必要なのは、「自ら見て」彼らの立場に「同情」することである。「我国人は過去の歴史や条約……を理由として、彼らを非難し、その不道理を説くけれども、そんな抗議は畢竟するにこの問題の解決には、無益である」。

 二つ目はまさにここで石橋のいう「この問題」つまり、「満蒙問題」の大前提を戒める議論である。「満蒙は我が国の生命線」という大前提が言論を覆っていた。

 石橋はこの大前提を問題視したのだ。満蒙が人口問題の解決にならないことは、明治以降、台湾、朝鮮半島、樺太、南洋諸島などを獲得したのに、問題解決になんら進展の気配もないことからあきらかだと難じる。

 また、満蒙の石炭などが資源不足の我が国には絶対必要という議論も、それだけなら商売の問題ではないか、商売すればいい、と切り捨てる。最後に、満蒙が国防上重要という議論も、国防には日本海で十分だ、とやり返す。さらには、かりにこの議論全部を譲って、武力で奪い取るしかないと吠えまくる声に賛同したとしても、武力で中国人の不満を抑えきれるものではない、勝てるわけがない。満蒙は我が国の生命線ではない。無駄な拡張政策はやめなさい。と。

 戦前から戦中の日本の議論を見ると、「満蒙は我が国の生命線」をはじめ、そのつど圧倒的に支持されていた議論がいかに狂っていたかが思い知らされる。誰も逆らえないほどの威力をもって喧伝されていた論調がいかにとんでもないものだったことか。大勢がいわば妄想に溺れていたのだ。マインドコントロールにあっていたのだ。これはあと知恵かもしれない。しかし、このあと知恵を先取りしていた人もいた。石橋がいい例である。

 ここまで来れば、話の行き先はあきらかだろう。尖閣問題である。新聞もテレビも、尖閣は当然日本の領土だ、これは譲れない一線だ、の大合唱。そして中国の「かたくなな」態度を国内の矛盾に求めている。

 おなじような見方は、中国側も日本についてしているらしい。この大合唱の大前提の上で、多少は穏やかな対応と強硬論の違いがあるくらいだ。だが99人に対抗した一人の石橋湛山が正しかったことをわれわれは忘れてはならない。

 実際に尖閣領有権について日本政府が挙げている根拠も、それほど強いわけではない。孫崎享氏の指摘を見ても、中国側にも日本側の文書よりずっと古い明代の証拠もあるようだ。1895年に慎重な調査の末に閣議決定によって日本領土に編入したというのも、当時の国際的な力の差を働かせただけだ。

 孫崎享氏はまた、毛沢東や鄧小平との暗黙の了解であったらしい棚上げ論の有効性を論じる。石橋湛山の文章を思い起こそう。

 「我国人は過去の歴史や条約……を理由として、彼らを非難し、その不道理を説くけれども、そんな抗議は畢竟するにこの問題の解決には、無益である」

 石橋湛山とおなじに、かりに百歩を譲って、すべて日本側の言い分が正しいとしたところで、現実に武力で守れるものだろうか。かりに武力で守ったとして、経済関係が破局的状況になるばかりか、ありえないことだが、かりに日本経済が奇跡的にそれを乗りきったとしても、中国人の不満を抑えきれるものではない。

 すでにオーストラリアの新聞などには、小さな撃ち合いからおたがいにのぞまないままに、とんでもない事態に発展する可能性を危惧した国際政治学者の論調も出はじめている(http://www.smh.com.au/opinion/politics/caught-in-a-bind-that-threatens-an-asian-war-nobody-wants-20121225-2bv38.html#ixzz2GJSDAGCU)。第一次世界大戦の例を引いて、大戦争は「本質的に価値のない問題についての小競り合いがエスカレートした結果だ」と。

 だいたい日本の外交、国際政治の構想は、19世紀に「列強」の仲間入りを狙ったときに「列強」を動かしていた国際関係の想念に頼りすぎている。無謬の国家主権の、力と駆け引きによる維持という発想である。しかし、二つの大戦を経て、少なくともヨーロッパにおいては大きな変化があった。国連もある程度国家主権を制限している。国家主権は絶対ではなくなった。

 今回の一連の事件の発端は、当時の石原慎太郎都知事の、尖閣買い上げの暴言である。「国有化」も火に油を注いだが、そもそも火をつけたのは、威勢のいい国士的ぶち上げだった。大言壮語で、自分を膨らませるだけ膨らませて力の幻想に酔う、なりあがり小市民特有の夜郎自大を止める政治家はいなかった。「弱腰外交」の批判が怖いからである。

 ふだんはどんな問題につけ批判精神が旺盛な古館伊知郎キャスターなども、話のはじめに、「尖閣諸島が日本の領土であることはずっと言い続けねばならないのですが」と枕を入れる。なにか怖いものがあるらしい。石橋の器はないようだ。だが、ちっぽけな島のまわりの魚礁とその海底から出るかもしれない石油が果たして「日本の生命線」だろうか。商売の問題ではないだろうか。漁業に関しては、日中漁業協定による暫定措置水域もある。

 「弱腰外交」への批判は、日露戦争直後の日比谷焼き討ち事件以来、 ・・・ログインして読む
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筆者

三島憲一

三島憲一(みしま・けんいち) 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

大阪大学名誉教授。博士。1942年生まれ。専攻はドイツ哲学、現代ドイツ政治の思想史的検討。著書に『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』『戦後ドイツ その知的歴史』、訳書にユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』など。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。

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