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受験から見た日本と韓国――情、家族、社会

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

■私に『涙と花札』を書かせたもの

 私は2012年末、日韓文化論として新潮社より『涙と花札――韓流と日流のあいだで』を上梓した。その本では、通夜の席で控え室に詰める参列者が、遺族が悲しみ過ぎないように、場を暖めようと花札を打つ韓国の習慣を切り口としている。その事例をはじめ、日本では余り理解されなかったり、誤解されたりしてしまう韓国の文化や社会に対して、韓国人である私自身の人生を通じて紹介を加えた。

 その中では、韓国の家族関係に注目しながら、日本社会で希薄になりがちな様々な情や、果敢に目標に挑戦しようとする韓国人の心意気に関して、背景から紐解きつつ表現しようと試みた。

 同書では、韓国の特徴的な事象であり、真意が十分に伝わっていないものの一つとして、受験に関して1章を割いている。ご存知の方も多いと思うが、韓国の受験は激しく、家族をはじめとした周囲の協力も日本では考えられないほど熱いものがある。そして、その時期になると日本の各テレビ局は挙(こぞ)ってニュースでその周辺状況を扱うようになる。ある意味で、行き過ぎた行動として奇異な目で見ている面もあるといえよう。

 私はソウル生まれで、韓国の苛烈な大学受験を経験した。そうして入学した延世大学1年次に私は日本に留学し、そのまま日本の大学・大学院で学び、その後、7年間アメリカの大学で教員として活動してきた。

 そして、2012年春、縁あって母校の明治大学で教鞭をとる機会を得て現在に至っている。日本の大学教員として初めての冬を迎えた私は、1月19日・20日にセンター試験の監督を行うこととなった。これまでもニュースではその映像を見ていたし、大学生の頃から受験会場に向かう受験生の姿は常に目にしていたのだが、「一体、日本の受験会場では何が起きているのだろう」「両者の違いの背景には何があるのだろう」という関心が、受験生の姿を見る冬になると常に私の中にあった。そして、ついにその疑問と向き合う時間が訪れたのである。

 ここで、韓国の受験の様子を記憶と共に書き連ねてみる。韓国では受験開始前の会場は、各学校の応援合戦の様相を呈する。そして、母親たちは子どもの成功を願い、祈りを一心に捧げる(日本では驚かれるが、受験の100日前から祈願のため、山へ修行に篭<こも>る母親すら珍しくない)。その姿を見て、受験生たちは一層闘志をかきたてられ、会場入りする。

 受験生が会場を後にする際にも、韓国では母親をはじめ皆が彼らの帰りを寒空の下、じっと待っている。私も韓国での受験の時ばかりでなく、日本で留学生向けの試験を受けた際、私を含めた韓国人受験生の母親だけが外で待っていたことを思い出す。不安の中で、母の顔を見た時、安堵という言葉の本当の意味を知った気がした。

 しかし、日本の受験生を見ると、

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