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アルジェリア人質テロで見過ごされた三つの問い

継続する日本の課題

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

 アルジェリアで起きた人質テロは悲劇的な結果をもたらした。遺族の悲しみは深く、そうした犠牲を今後出さないためにも、残された我々は懸命に道を探さねばならない。しかしながら、今回の人質テロに対して、日本国内の報道では余りに個々の家族の物語に注目が集まり、事件そのものへの検証が十分になされないまま、人々の関心は新たな話題へと移ろうとしている。

 悲劇的な事件の後には、それに対する教訓や知識の習得が必要なのだと私は考える。そこで、事件が風化する前に、テロに関する基本的な問いを三つ挙げておきたい。

 それは(1)「テロとは何か?」、(2)「テロリストとは誰か?」、(3)「日本のテロ対策に課題はあるのか?」、以上の3点である。

 まず、第一の問いであるが、現在、テロという言葉は世間に溢れている。「いきなりの不意打ち」と言い換えてもよい場面にすら、9・11同時多発テロ以後は安易に「テロ」という言葉が使われるようになった。インパクトがあり便利な言葉なのだろう。しかし、実際に国際的に統一したテロの定義は存在しない。そのため、包括的な対テロ条約の不成立、あるいは日本におけるテロを扱う法律の不在という状況を生んでいる。

 一方で、定義が無いために、今回のアルジェリアのような明らかなテロ事件でも、「テロ」との文言が使われないケースも見られる。もちろん、テロに関する格言である「ある人にとってのテロリストは、他の人にとっての自由の戦士」との視点は重要ではあるが、無辜の市民が犠牲となる事件が頻発している以上、判断を先延ばししてはなるまい。

 私は拙著『テロ防止策の研究――国際法の現状及び将来への提言』(早稲田大学出版部、2011年)において、全ての暴力行為の中で、(1)軍隊が関与せず、(2)政治性のあるものをテロと捉え、それを「関係者を狙ったテロ」と「無差別テロ」に分類できるのではないかと考えた。

 これは私見にしか過ぎないが、テロを定義づける努力を継続しなければ、国際的な協調や国内外の法的整備を進める上で、不備をさらしてしまう。テロの本質に向き合うことは、迂遠なように見えるものの、喫緊の課題である。

 第二の問いには大きく二つの問題点が潜んでいる。まず挙げられるのが、今回のテロリストが誰であり、その主張はどのようなものか十分に分からないまま、軍事的な掃討作戦がとられたため、事件の全体像が分からなくなったということである。

 確かに、「テロリストとは交渉しない」というのは一見、適切な行動のように見えるが、テロリストの背景や主張を知らず闇雲に軍事的な対応を行えば、次に起きるテロを防止することは難しい。そして、強硬な姿勢だけに頼った場合、従来のいかなる事例でもテロを長期化させる結果しか生んでいない。その意味でも余りに拙速な対応は、新たな被害を招く恐れがあることを認識する必要がある。

 そして、もう一つの問題点は、日本におけるマスメディアの姿勢である。

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筆者

金恵京

金恵京(きむ・へぎょん) 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

国際法学者。日本大学危機管理学部准教授、早稲田大学博士(国際関係学専攻)。1975年ソウル生まれ。幼い頃より日本への関心が強く、1996年に明治大学法学部入学。2000年に卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程に入学、博士後期課程で国際法によるテロリズム規制を研究。2005年、アメリカに渡り、ローファームMorrison & Foester勤務を経て、ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学東アジア学部客員教授を歴任。2012年より日本に戻り、明治大学法学部助教、日本大学総合科学研究所准教授を経て現在に至る。著書に、『テロ防止策の研究――国際法の現状及び将来への提言』(早稲田大学出版部、2011)、『涙と花札――韓流と日流のあいだで』(新潮社、2012)、『風に舞う一葉――身近な日韓友好のすすめ』(第三文明社、2015)、『柔らかな海峡――日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル、2015)、最新刊に『無差別テロ――国際社会はどう対処すればよいか』(岩波書店、2016)。

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