2013年03月06日
しかし大使館を占拠するといった暴挙にイランの若者が訴えたのには、それなりの背景があった。イランでは1951年にモサデクという首相が、国内にあったイギリス資本の石油会社を国有化した。そのモサデクを1953年にアメリカのCIA(中央情報局)が、イギリスの諜報機関などと共謀しクーデターを起こして失脚させた。このクーデターが、イラン人の対アメリカ感情を決定的に悪くした。
クーデターの後、アメリカが支持したシャー(国王)が秘密警察を使って国民を弾圧した。この部分の歴史が映画の最初に語られている。イラン人のアメリカに対する怒りの源泉に言及している。
実は、このクーデターの際にアメリカ大使館が司令塔的な役割を果たした。1979年の大使館占拠の伏線が1953年に準備されていた。中東への興味、双方の感情への気配り、なかなかである。監督で主演のベン・アフレックの経歴を見ると大学で中東研究を専攻している。なるほどと思う。
さて話を1979年に戻すと、アメリカ大使館が占拠された際に、アメリカ大使館員のうちの6人が隣のカナダ大使公邸に逃げ込み匿(かくま)われた。この6人をCIAがイランからカナダ人と偽って出国させる話である。その詳細は映画を見る楽しみを半減させるので触れないようにしよう。
画面では革命時のテヘランのバザールやテヘラン空港が再現されている。イランの雰囲気を感じさせる現実感にあふれている。リアリティーに圧倒されそうである。映画での会話も、かなりの部分がペルシア語なのだが、革命により多くのイラン人が移民となったアメリカでは、ペルシア語を話す俳優やエキストラ集めが可能なのだろう。妙なところで感心してしまった。
この事件当時、筆者はアメリカにいた。アメリカ政府が大使館に何人いたのかを発表しないのを何となく奇妙だなと思っていた。隠れていた6人が帰国したとのニュースを知って「なるほど」と思った。何人いたかを相手に知らせると、人質の数と合わないと気づかれてしまう。大使館を乗っ取った方は、残りが隠れているはずだとして、探し始める。それを懸念したからだった。
今年1月に起こったアルジェリアでの人質事件でも日本企業は何人の社員が現地にいるかを当初は発表しなかった。テロリストに捕まらずにいる日本人が残っている可能性への配慮だった。残念ながら、全員が拘束されていた。しかし対応としては正しかった。わずかでも隠れている関係者のいる可能性があればテロリストに察知されない最大の配慮をすべきである。
さて最初に触れた間違いとは何だろう。実は、映画では
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