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TPP交渉参加は本当に「公共的」利益に適うのか?

小林正弥 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

■安倍首相の「賢い」戦略

 安倍晋三首相が環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉に参加することを表明した(3月15日)。安倍首相は、オバマ大統領との会談で「両国ともに2国間貿易上のセンシティビティー、いわゆる配慮すべき品目が存在することを認識しつつ、最終的な結果は交渉の中で決まっていくもの」であることを確認し、米などの関税について「聖域なき関税撤廃が前提条件でないことが確認された」から交渉に参加するとし、交渉に参加しても「国益を守る」と述べた。他方で、アメリカ側はこの日本側の理解や主張を牽制している。

 自民党は、TPPに反対していた農協などの支持組織の動揺を沈静化するために、「聖域」は守ると説明している。問題は、これが本当かどうかは参院選前にはわからないということだ。

 筆者が「アベノミクスと『ダモクレスの剣』――『経済再生』という夢想の後に待ち受けるもの」(WEBRONZA、2013/01/07)で主張しているように、安倍首相は参議院選前には、本当に実現したい政策を隠してアベノミクスだけを掲げていくという「巧妙」な戦略をとっている。

 たとえばそのブレーンである中西輝政氏も『賢国への道――もう愚かではいられない』(致知出版社、2013年)で、「本当の安倍政治が始まるのは、参院選のあとなのです。それを見たければ、安倍さん自身も、彼を支持する人たちも、半年間我慢しなければなりません」(200頁)と言って、「賢国への道」を説いている。

 この「戦略」は今のところ、大成功しており、安倍首相の支持率は発足当初より高まっており、名宰相になるのではないかという声すら聞かれるほどである。こうして首尾よく参議院選挙で自民党が勝利すれば、安倍首相はその後、本当に進めたい政策を実行しようとするだろう。参議院選挙の後は、その次の参議院選挙まで3年間、国政選挙なしに政治を行えるのである。

 そして、TPPについても、この間に、詳しい条項が定まり、参加を確定することができる。その条項がどのようなものになるかは、今のところ、確かな予測はできない。けれども、その内容が仮に農業の関税消滅、医療・保険の完全自由化、農産品の規制緩和というようなものであったとしても、農協をはじめとする様々な関連団体はそれに対してすぐに国政選挙で反対して決定を覆すことはできないのである。

■「第3の開国」と3党合意

 自民党は総選挙では「TPP交渉参加の判断基準」をあげてTPP交渉参加に反対を主張していたから、安倍首相の表明はこの主張との間に緊張関係がある。けれども、これは必ずしも唐突ではない。

 そもそも、民主党政権時代に、菅直人首相が突然、TPPへの参加を目指すことを表明し、それを「第3の開国」と主張したのである。それ以来、民主党政権はTPP参加への道を探り、野田佳彦首相はこの問題を総選挙の争点にしようとすらした。

 だから、実際には、安倍首相のTPP交渉参加表明は、消費税をめぐる3党合意の延長線上にある。民主党政権であれ、自民党政権であれ、いずれもアメリカや産業界の意向を重視して、「第3の開国」への道を歩んできたのである。

 もっとも、安倍首相は「第3の開国」とは言わない。安倍首相はナショナリスティックな思想の持ち主だから、「開国」というような表現はあまり用いたくないのだろう。

 しかし、安倍首相は、言葉の上では勇ましいことを言いながら、実際にはアメリカや財界の意向に従って「開国」をしようとしているのである。だから、安倍首相のナショナリズムは、市場原理と軍事的手段は重視する半面、地方のコミュニティや農業に生きる人びとの幸福は考えていないものであることが明らかになったと言うことができよう。

 果たして、野党となった民主党は、安倍政権をこの点で批判できるだろうか? これは、民主党の今後を占う試金石となるだろう。

■農業と地方のコミュニティ

 TPP参加によって、様々なことが懸念されている。関税の撤廃により米国などから安い農作物(特に米)が流入し、日本の農業が大きなダメージを受けるかもしれない。食品添加物・遺伝子組み換え食品・残留農薬などの規制緩和により、これらの食品に関する表示が減少し、食の安全が脅かされるかもしれない。

 医療・保険についてもアメリカが求めている医療保険の自由化や混合診療が解禁になり、お金もかかる医療が増えて医療の格差が出てくるかもしれない。さらには国民皆保険の崩壊につながるかもしれない。

 これら全てが起こるかどうかはわからない。けれども、農業や地方が大きなダメージを受けることは確実だろう。

 そもそも、小泉改革以来、地方は大きく疲弊してきた。地方のコミュニティは市場原理によって浸食され、商店街は寂れたところが多い。そして、今度は農家も大きなダメージを受けるかもしれない。外国から安い米などの農産物が入ってきたら、農業を止めざるを得ない農家が続出するかもしれない。

 日本の工業を発展させるため、そして農業を大規模な経営体に変化させるためには、それもやむを得ないという論者も少なくはない。けれども、地方のコミュニティに生きる人びとにとって、本当にそれは幸せな道なのだろうか?

 55年体制において、農協を中心に農家は固い自民党の支持基盤だった。地方の政治は、親分―子分関係(恩顧主義)によって形成され、自民党は地方に利益誘導する代わりに後援会を通じて固い支持を得てきたのである。民主党政権の時代にはこの関係には動揺が見られたが、自民党政権になって再びこのような関係が再確立される可能性が生まれてきていた。

 しかし、このような政治を維持することは、農家にとって「賢明」な道だろうか? ・・・ログインして読む
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筆者

小林正弥

小林正弥(こばやし・まさや) 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

1963年生まれ。東京大学法学部卒業。2006年より千葉大学大学院人文社会科学研究科教授。千葉大学公共研究センター共同代表(公共哲学センター長、地球環境福祉研究センター長)。専門は、政治哲学、公共哲学、比較政治。マイケル・サンデル教授と交流が深く、「ハーバード白熱教室」では解説も務める。著書に『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう(文春新書)、『サンデル教授の対話術』(サンデル氏と共著、NHK出版)、『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』(平凡社新書)、『友愛革命は可能か――公共哲学から考える』(平凡社新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『神社と政治』(角川新書)など多数。共訳書に『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』(ハヤカワ文庫)など。

 

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