2013年05月29日
橋下徹氏の慰安婦発言や米軍への発言が大きな問題になり、多くの人々からその政治家としての資格が疑われている。橋下氏の本質がこの事件によって露呈した、と厳しく論評する人も多い。これを契機に、日本維新の会も支持率が低下していると伝えられている。この事態を政治哲学の観点から考えてみよう。
筆者は、総選挙前に石原慎太郎「日本維新の会」共同代表が核武装論や憲法破棄論を持論として唱えていることから、政治学的にはそれは極右思想と呼ぶべきであり、「日本維新の会」には極右的側面があると指摘した。そして、「『日本維新の会』も極右的政党になるのか?――『極右党首』が招く戦争への危険性」(2012年11月22日)で、橋下氏についても次のように言及した。
「橋下氏にも、既に、その強権的・独裁的な政治手法や発想に注目して、『橋下主義(ハシズム)』という批判が研究者たちからなされている(内田樹、山口二郎、香山リカ、薬師院仁志『橋下主義(ハシズム)を許すな!』ビジネス社、2011年)。これは、橋下氏の独裁的政治手法に対する批判であり、カバーに『ハシズム=ファシズム?』と記されているように、ファシズムとの類似性に注意を喚起して『ハシズム』という言葉が用いられている。
橋下氏は『今の日本で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力だ』(2011年6月29日)という発言をしたこともあるので、このような批判を招いたのである。確かに、この発言には、『ヒトラーになりたいね』(『論座』2001年5月号)という石原発言との共通性が感じられる」
ただ、橋下氏には改革者として期待している人も多いので、橋下氏を独裁的とか極右と断言することはせずに、「『日本維新の会』は、石原氏を党首に迎えたことによって、極右的主張に寛容であるということになり、ひいてはそれと類似した発想や体質を持っているのではないか、と疑われても止むを得ないことになった」と述べた。
それでは、今回の橋下発言は、極右的ないしファシズム的だろうか?
今回の事件の発火点になった発言は次のようなものである。
「当時は日本だけじゃなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。あれだけ銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、そんな猛者集団というか、精神的にも高ぶっている集団は、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのはこれは誰だってわかる。……慰安婦制度じゃなくても、風俗業っていうものは必要だと思う。だから沖縄の海兵隊・普天間に行ったとき、司令官に『もっと風俗業を活用してほしい』と言った。司令官は凍り付いたように苦笑いになって『米軍ではオフリミッツ(出入り禁止)だ』と。(ぼくは)『そんな建前みたいなことを言うからおかしくなるんですよ。法律の範囲内で認められている中で、いわゆるそういう性的なエネルギーを合法的に解消できる場所は日本にあるわけだから、もっと真正面からそういう所を活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをきちんとコントロールできない』と言った。(司令官からは)『行くなと通達を出しているし、これ以上この話はやめよう』と打ち切られた」(5月13日)
そして、石原氏も「軍と売春はつきもので、歴史の原理みたいなもの。決して好ましいものではないが、彼は基本的にそんなに間違ったことは言っていない」(14日)と述べ、橋下氏を擁護した。
これに対して、女性団体などが女性蔑視などの点で怒りを示し、アメリカもこのような考え方を否定して、米国防総省報道担当者は「我々の方針や価値観、法律に反する。いかなる問題であれ、買春によって解決しようなどとは考えていない。ばかげている」(13日)と述べたという。
この女性蔑視は、ファシズム的だろうか? 確かに、ムッソリーニをはじめとするファシズムには、指導者原理の強調などのように、極端な男性原理の強調と女性の蔑視傾向が存在した。ファシズムのように独裁や軍事国家を肯定する思想は、男性優位主義と結びつきやすいのである。
橋下発言には、確かに旧日本軍や米軍の海兵隊の「猛者集団」という男性的組織のマッチョ的部分を重視して、これに対する女性の性的活用を容認したり、さらには米軍に提案するという側面が含まれている。上述のような橋下氏の独裁肯定発言をも念頭に置いて考えてみると、ここにファシズムと通底するような男性優位思想と女性の道具視があると批判されても仕方ないだろう。
ただ、橋下発言に、ストレートに、強制的な従軍慰安婦を肯定するようなファシズム的思想を見ることはできないかもしれない。橋下氏からすれば、米軍への提案は「法律の範囲内で認められている中」「性的なエネルギーを合法的に解消できる場所」についてのものだから、女性の意思を無視して強引に男性の性の道具にしようと提案したわけではない、ということになるからである。
日本では「風俗営業」と「売春」には概念の相違があるのに対し、アメリカでは橋下発言が「売買春」の勧めと受け取られたために、厳しく批判されたのであり、これは文化的相違に基づく、という論評がある。橋下氏も「アメリカの風俗文化について認識が足りなかった。 国際感覚が乏しかったかもしれない。非常に反省すべきところだ」(16日)と釈明したという。
日本でも、売買春は合法的ではなく、違法である。自由意思に基づく単純な売春は刑罰の対象にならないだけである。このことは指摘しておきたい。しかし、実際には警察の摘発の対象になっていないので、援助交際のような実質的な「売買春」は違法ではない、というような錯覚に陥っている人も多いのかもしれない。
このような事情に鑑みて、アメリカだけではなく多くの人が、橋下氏は、実のところは、あまり「風俗営業」と「売買春」とは区別していなかったのではないか、と疑っている。橋下氏は、「性的なエネルギーを合法的に解消できる」ような「風俗営業」について語っているのだからである。
確かに、法的には「売買春」には相当しない、このような「風俗営業」があるのかもしれない。けれども、倫理的・道徳的にはこの二つはあまり変わらないだろう。実質的な問題は、そのような「風俗営業」を米軍に勧めるのがいいかどうか、である。
さすがに、橋下氏も、米兵の被害にあう沖縄の人々を救うためといえども、今の米軍に、強制的に集めた日本人慰安婦をあてがうことは主張しないだろう。この発言には、「風俗業」なら、自由意思で仕事をしているのだから、その性的サービスを米兵が買うことには問題はない、という論理があるのだろう。それによって、沖縄の人々がレイプの被害にあうことが避けられるから、というわけである。
現に、橋下氏は、「アメリカはずるい。アメリカは一貫して、公娼(こうしょう)制度を否定する。しかし米軍基地の周囲で風俗業が盛んだったことも歴史の事実」「日本国において法律で認められた風俗業を否定することは自由意思でその業を選んだ女性に対する差別だ」などと反論したという(14日)。
さて、ここでネット上の「白熱教室」をしてみたい気がする。仮に売買春が法律的に禁じられていないとしよう。この論理について、多くの人々は、本音のところではどう思うだろうか? あなたは賛成だろうか? それとも反対だろうか?
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください