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「日本維新の会」はやはり極右政党か?(下)――リバタリアニズムと国家主義の結合

小林正弥 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

 もっとも、リバタリアニズムは今日の政治哲学においても支持者は少なくない。これは、明らかにファシズムとは異なる。それでは、橋下徹氏は、リバタリアンだからこそ、このような発言をしたのであり、彼はファシズム的ないし極右的ではないのだろうか?

 実際には、サッチャー政権、レーガン政権、そして中曽根政権と見ればわかるように、リバタリアニズム的思想と国家主義とはしばしば結びついている。だから、橋下氏が石原慎太郎氏と「日本維新の会」を結成したのは、いわばリバタリアンと極右的国家主義者との結合とみなすことができるだろう。

 橋下氏は、第二次世界大戦について日本の侵略を認めて反省とお詫びが必要としたのに対し、石原氏は「侵略じゃない。あの戦争が侵略だと規定することは自虐でしかない。歴史に関しての無知」と述べたという(5月18日)。そもそも、安倍晋三首相自身が「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」(4月23日、参院予算委)と一度は答弁しており、これが問題の出発点なのである。だから、個人の政治思想を取ってみれば、石原氏が極右であるのに対し、橋下氏には極右よりもリバタリアニズムの傾向が強いと言えよう。

赤裸々な本音主義とアメリカ軍の「正義」

 しかし、それでもこの結びつきには、それなりの必然性がある。橋下発言に「建前」を軽蔑する調子があるように、橋下氏の発想や、おそらくそれを支持する多くの人々には、いわば赤裸々な本音主義とでも言えるものがある。だから、旧日本軍や米兵の性的欲望を率直に認め、それを抑制させようとするのではなく、その「解消」や「コントロール」を女性によって行おうとするのである。リバタリアンとしての橋下氏には、このような非倫理的本音主義があるのだろう。

 そして、このような非倫理的本音主義は、現実にファシズムにおいて典型的に見られたことであった。「神は死んだ」と言ったニーチェが思想的源流とされるように、ファシズムはキリスト教のような宗教性・倫理性をニヒリスティックに否定して、赤裸々に権力や実力・暴力を求める人間の傾向を肯定した。だからこそ、そこには男性優位主義が見られたのである。

 アメリカの発想はこれとは違う。アメリカが第二次世界大戦を戦ったのは、あくまでもファシズムのような端的な「悪」を撃破して、世界を「第3帝国」の悪夢から救うためであり、それは「正義の戦争」であった。戦後もそして今も、アメリカは、「正戦」であることを大義にして、戦争を行っている。イラク戦争をはじめ個々の戦争を見れば、実際には「正義の戦争」とは言えない戦争もあるだろう。でも、アメリカ軍が「正義の戦争」のために存在していることは、アメリカにとっては決して否定できない存在理由である。

 だから、アメリカ軍は、ファシズムのような男性優位主義や、赤裸々な権力肯定、そして女性による性的欲求解消の肯定はできない。そんなことをすれば、アメリカ軍は「正義の戦争」のための軍隊では、もはやありえないからである。

 このため、アメリカは、「発言は言語道断で侮辱的なものだ」などと厳しく非難する異例のコメントを出したのだろう(5月16日)。これは、単なる文化の違いなどではなく、大国アメリカやアメリカ軍のアイデンティティーに関わる大問題だからである。

 「正義の戦争」を行うべき軍隊に対して、売買春を勧めるということは、その軍隊の倫理的頽廃を促すことに等しい。実際には、アメリカ軍の実態は公式に言うほど倫理的な軍隊ではないにしても、その理念を建前として堅持することは、アメリカ軍自身にとっても重要である。だから、橋下氏の勧めは、理性的な政治家の言動とは思えなかっただろうし、これを容認すればアメリカ軍は「正義の軍隊」であるという誇りや大義名分を失ってしまう。

 だからこそ、橋下氏は、ついに海外メディアの前で「米軍のみならず米国民を侮辱することにもつながる不適切な表現だった」と認めて「撤回するとともにおわび申し上げる」と謝罪せざるをえなくなり(5月28日)、訪米の中止に追い込まれたのである。

リバタリアン極右政党?

 つまり、橋下発言には、ファシズムと通底するような非倫理性が存在し、それは性的リバタリアニズムという思想的観点からなされたものではあっても、アメリカから見れば、あたかも極右的なファシズムの主張と同類のものである。

 ファシズムの代表的研究者である山口定は、既に15年ほど前に、1980年代中葉以降に現れた「ヨーロッパ新右翼」について、かつてのファシズムとは異なって、「右翼=極右」が個人主義的な業績的権威主義の傾向を持ち、経済政策においては新保守主義=ネオ・リベラリズム(リバタリアニズム)を主張することがあることを指摘している(山口定、高橋進編『ヨーロッパ新右翼』朝日新聞社、28―29頁)。だから、今日においては極右政党がリバタリアニズム的主張を行うことは、決してありえないことではないのである。

 そして、考えてみれば、もう一人の「日本維新の会」共同代表である石原慎太郎氏は、

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筆者

小林正弥

小林正弥(こばやし・まさや) 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

1963年生まれ。東京大学法学部卒業。2006年より千葉大学大学院人文社会科学研究科教授。千葉大学公共研究センター共同代表(公共哲学センター長、地球環境福祉研究センター長)。専門は、政治哲学、公共哲学、比較政治。マイケル・サンデル教授と交流が深く、「ハーバード白熱教室」では解説も務める。著書に『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう(文春新書)、『サンデル教授の対話術』(サンデル氏と共著、NHK出版)、『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』(平凡社新書)、『友愛革命は可能か――公共哲学から考える』(平凡社新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『神社と政治』(角川新書)など多数。共訳書に『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』(ハヤカワ文庫)など。

 

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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