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安倍晋三の執政において、「実際に成就できる事柄」は何か

櫻田淳 東洋学園大学教授

 先刻の参議院議員選挙の結果、自民党は、昨冬の衆議院議員選挙の結果に併せれば、圧倒的な議会内優位を得るに至った。少なくとも向こう三年、安倍晋三(内閣総理大臣)が不慮の事態で退陣するということでもない限りは、日本政治は、「政局の無風」の中で推移するのであろう。

 しかし、安倍がその「政局の無風」の時期を大過なく潜り抜けたとしても、それは、米国大統領の一期四年の任期にも満たないのである。前に触れた衆参両院における圧倒的な議会内優位があるとはいえ、それが効力を持つのは、三年でしかない。第一次内閣以降の頻繁な宰相の交代の局面に比べれば、ましであるとはいえ、日本の内閣総理大臣が手にしている「政治上の資源」としての時間は、誠に限られたものでしかないのである。

 こうして考えると、安倍がどのような政策対応に着手しようとも、その中で実際に成就できるものは、意外に多くないかもしれない。政治家にとっては、「自ら手掛けたいと願っている事柄」や「手掛けるのを周囲から期待され、あるいは警戒されている事柄」は、「実際に成就できた事柄」とは、自ずから異なる。

 たとえば、安倍にとっては、「自ら手掛けたいと願っている事柄」や「手掛けるのを周囲から期待され、あるいは警戒されている事柄」の具体的な中身が憲法改正であるのは周知の事実である。

 ただし、振り返れば、憲法改正の文脈でいえば、半世紀以上前から、その必要を説いてきた政治家の一人が、中曽根康弘であった。一九八〇年代前期、「戦後政治の総決算」を唱えて政権を掌握し、その濃い「タカ派」色を指摘された中曽根の姿は、「戦後レジームからの脱却」を唱え、その「タカ派」色を指摘される安倍の姿とも重なり合う。

 ただし、中曽根が五年の執政の中で進めた施策は、冷戦後期の国際情勢の中で対米関係を梃子にして「西側同盟の一員」としての立場を鮮明に打ち出すことであり、一九八〇年代の「新自由主義改革」潮流の中で日本国有鉄道や電信電話公社、専売公社の「民営化」を断行することであった。

 これらの施策は、中曽根の政治上の業績として位置付けられるものであるけれども、それらは、中曽根にとっては、「自ら手掛けたいと願っている事柄」や「手掛けるのを周囲から期待され、あるいは警戒されている事柄」であったのか。

 結局のところは、一九八〇年代当時は佐藤栄作や吉田茂に次ぐ長期執政と相成った中曽根ですらも、往時の内外情勢に拠る政策上の「要請」に応えていくことで精一杯であったとはいえるであろう。

 「経済大国・日本」が絶頂を迎えた中曽根の執政期に比べれば、安倍を取り巻く内外の政治環境は、明らかに穏やかではない。

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