2013年08月21日
広島・長崎への原爆投下から68年。核兵器のむごさを知る立場から、日本政府は戦後一貫して核軍縮や核廃絶を国際社会に訴え続けてきた。その一方で、自国の安全保障については核兵器の効用を認め、米国の核抑止力に依存してきた。
この一見して相反するような2つの政策に対し、被爆者や反核運動家たちは繰り返し批判を重ねてきた。ところがその開きはここ数年、広がるばかりだ。両者のコントラストが今年ほど際だったことはなかった。なぜなのか――。
それは4月にあった2つの出来事に見てとれる。1つは、核軍縮を話し合うためスイス・ジュネーブであった「核不拡散条約(NPT)再検討会議」の準備委員会。日本政府は核兵器の非人道性を訴える共同声明への署名を見送った。もう1つは、米国の核戦略について日米の実務者同士が話し合う「拡大抑止協議(EDD)」。両国の実務者は、北朝鮮の核武装への対処などを共通のテーマにした。
核軍縮をめぐる国際会議では、2010年のNPT再検討会議以来、核兵器の非人道性に焦点をあてた議論がさかんだ。今年の準備委員会でも、南アフリカやスイスなどから「核兵器の人道的影響に関する共同声明」が提案された。80カ国が賛同する中、日本はその声明文にある「核兵器が二度といかなる状況でも使われないことが人類生存の利益になる」のくだりについて、「米国の核抑止戦略を制約しかねない」と判断。署名を見送った。
国連関連の会議では、2012年から今年にかけて3回、「核の非人道性」や「核の非合法化」をテーマにした共同声明が有志国から提案されているが、賛同国が急増しているにもかかわらず、日本はいずれにも署名していない。すべて同じ理由からだ。
広島市の被爆地を選挙地盤とする岸田文雄外相さえ、「残念」と言いつつ、今回の賛同を見送った理由についてこう強調した。「安全保障環境は厳しさを増し、米国の核戦力を含む日米同盟の抑止力で自国の安全を確保する必要がある」。
やや大げさに表現すれば、国際社会の失望を買ってまでも米国の核抑止力にすがらなければならない重大な事態が、日本に差し迫っているのではないかと思わせるような対応ぶりだ。案の定、8月の広島・長崎での原爆忌では、両市長が口をそろえて日本政府の対応に強い不満を表明した。
4月と言えば、金正日総書記のあとを継いだ金正恩第1書記が、昨年来の長距離弾道ミサイル発射や3度目の地下核実験に続き、新型の弾道ミサイル「ムスダン」の発射をちらつかせて国際社会を揺さぶっていた最中のことだ。北朝鮮による核開発のレベルは、小型化した核弾頭を積むノドンミサイルが、日本に照準を当てるようになったのではないかとの分析もある。北朝鮮の核危機は、そこまで緊迫度を増しているということだったのか。
政府関係者の1人が明かす。
「むろん北朝鮮の核の脅威も無視できないが、それよりもっと深刻な問題が生じつつあるからだ」
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