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北の地で朽ち果てていく帰国者たち

小北清人 朝日新聞湘南支局長

 何枚もの薄い便箋に、細いボールペンでびっしりとハングルが書き連ねられていた。

 「会いたいお姉さん。お元気ですか。寝ても覚めても、夢の中でさえも、忘れられないお姉さんの懐かしい姿が思い浮かび、涙あふれる中で、この手紙を書きます。夫が亡くなってからこの10年、一瞬たりとも忘れたことのないお姉さん、どうして連絡を下さらないのでしょうか……」

 これは、北朝鮮の地方に住むある女性が最近、夫の姉にあてて書いたものだ。日本で在日朝鮮人として生まれた彼女は1960年代、まだ幼いころ、帰国事業で日本から北朝鮮に渡り、現地で、やはり帰国者出身の男性と結婚した。夫との間に複数の子供をもうけた。夫婦の両親はずっと前に亡くなったようだ。

 「親戚一人おらず、祖国の懐に抱かれた私にとって、日本にいるお姉さんは、母であり、父なのです。そして夫は家庭の中心であり、子供たちの厳しい師でした」

 その頼みの夫が10年ほど前に病死した。まだ50代の若さだった。彼女一家が頼れる親戚は北朝鮮にはおらず、日本に住む夫の姉(義姉)しかいなかった。義姉は夫の生前、物資を送ってくれたり、送金してくれたりして助けてくれていた。

 夫が死んで何年かして、日本から義姉が「家族訪問」で北朝鮮に来た。「弟を看取ってくれてありがとう。日本で星を見たら、あなたたちのことを考えてしまう」と義姉は彼女に感謝した。すっかり大きくなった子供たちを見上げ、義姉は目を細めていた。義姉は日本に戻ってから間もなく、日用品などが入った物資を送ってきた。一家にとっては、義姉からの仕送りが、北朝鮮で生きていくための「命綱」なのだった。

 だがそれっきり、義姉からの連絡は途絶えた。北朝鮮からいくら手紙を出しても、日本からあて先不明のまま戻ってきてしまうのだ。義姉が生きていれば80歳ほどになる。

 生きているか死んでいるかわからない義姉あてに、彼女はすがるように書いている。

 「お姉さんの助けが必要なのです。かわいそうな子供たちを助けてください。力いっぱい、子供たちが家庭を作り、義理深く、たくましく生きていくよう、努力します。夫は子供たちにこんな遺言を残しました。ご存知でしょうか。『お前たちにとって、叔母さんは、日本にいる叔母さんだけだ。この叔母さんを絶対に忘れては駄目だ。俺がいなくなっても、叔母さんは必ずお前たちを助けてくれるだろう』と」

 彼女の手紙は一例にすぎない。

 在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業が始まったのが1959年。それから84年までの間に約9万3千人の在日朝鮮人と日本人配偶者らが北に渡った。

 「成功者」がいないわけではない。筆者が知る限りでも、朝鮮労働党機関紙「労働新聞」幹部や、政府高官、有名画家らがいる。大物在日商工人の子供で、大口献金の見返りに「豊かで安全に」暮らす人もいる。それに何といっても、故・金正日総書記の最後の妻で、いまの最高権力者・金正恩氏の母親、故・高英姫氏は大阪生まれの帰国者出身だ。

 だが帰国者の大半は過酷な人生を強いられた。その後、脱北して日本や韓国に住んでいる人たちもいるが、多くは北の地で年齢を重ね、高齢化が進む。彼らの「命綱」となって日本から仕送りを続けてきた親族も年老いた。

 今年になって、北朝鮮で亡くなった帰国者出身の女性がいる。親族からの仕送りはとうに途絶えていたようだ。80代だった。北の親族は「亡くなりました」と周囲に語るだけで、死因を口にしなかったという。

 こういう場合は自殺した可能性が高い。自殺は北朝鮮で重罪だ。

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筆者

小北清人

小北清人(こきた・きよひと) 朝日新聞湘南支局長

朝日新聞入社後、大阪社会部、AERA編集部などを経て現在、朝日新聞湘南支局長。92~93年、韓国に語学留学。97年、韓国統一省傘下の研究機関で客員研究員。朝鮮半島での取材歴多数。

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