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シリアの査察受け入れは薔薇色のゴールではない

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

 私は2005年から7年ほどアメリカで暮らしたのだが、特にその後半に感じたのは「アメリカが疲弊している」ということであった。アフガニスタンとイラクの泥沼の戦闘に2008年のリーマン・ショックが重なり、個人の生活は苦しさを増した。報道には出ない庶民の自殺や一家心中が珍しくなかったほどで、会えば挨拶を交わしていた人がそうした行動をとってしまった時の絶望感は忘れられないものがある。

 このような出来事は全米で起きた。そうした絶望がアメリカに黒人初の大統領を生んだのである。知性や平和を根底に持つ政治、アメリカのもつ自由や平等を再び信じさせてくれるような爽やかな演説。これまで理想主義に過ぎないとして顧みられなかったオバマ大統領の姿勢は、疲れきっていた当時のアメリカ人に受け入れられた。

 そうした中で今の地位を得たオバマ大統領が、8月21日にダマスカス近郊にてサリンが使用されたことに端を発して、シリアに軍事介入を行うことを宣言した時、私は強い失望を感じた。この10年で失墜したアメリカの中東へのプレゼンスを回復し、「世界の警察」としての役割を再度果たしたいという欲求が大きな動機になっていることは確かであろう。

 しかし、今回の判断は、それらに再検討を迫った彼の出発点を不確かなものにする行為のように思われた。そして、オバマ大統領への失望と同時に、私は何か受け入れ難い違和感を各国の動向から感じてもいた。ただ、私はそれが何なのか明言できなかった。「何かが違う」、そんな思いを抱えつつ、この3週間は過ぎていった。

 毒ガスの散布という悲劇は繰り返されてはならない。今回、度々映像で流れた被害者たちの苦しむ様子は、化学兵器の使用などを禁じた「化学兵器禁止条約」(1993年成立)がなぜ作られたのかを分からせるには十分なものであった。

 そうしたサリンの使用が確認されて以来、国際情勢は嵐に小船が巻き込まれたように日々変わっていった。中でもオバマ大統領が軍事介入の意思を示した後、世界はシリアの情勢よりもアメリカやロシアの動向に注目するようになった。

 これまでアメリカ政府が軍事介入を行おうとした場合、国内世論はそれを支持し、同盟関係にある先進国の大半もそれに追従してきた。しかし、今回はアメリカ国内で軍事介入に反対する人々が多数を占め、長年にわたりアメリカと共同歩調をとってきたイギリスが議会の反対で軍事介入への参加を拒否した。

 その背景には、2003年にイラク戦争が大量破壊兵器所持の疑惑によって始まり、状況が泥沼化した後になっても当該兵器は発見されず、そもそもの介入を決めた際の情報すら不確かなものであった事実が明らかになったことにあった。「また、あの徒労感の中に身を置きたくない」という認識が各国に広まったのである。それはある意味で、時代の変化を表すものであった。

 とはいえ、アメリカは一度武力介入を宣言した手前、批判があったとはいえ、振り上げた拳を下ろすことはできず、関係各国はその方針の転換を図るようにアメリカとの交渉を求めた。そして、恐らくオバマ大統領自身も、不支持が高まる中で、軍事介入することへの厳しさを実感していたことであろう。

 それは、アメリカがG20開催中に急遽プーチン大統領との会談の席を設けたことからも明らかであった。なぜなら、8月1日に元国家安全保障局(NSA)局員エドワード・スノーデン氏のロシアへの一時亡命を受けて、G20のホスト国ロシアとの首脳会談をアメリカが早々に取り止めていたためである。しかし、周知の通り、アメリカが面子を捨てたとすらいえる会談を行ってなお、解決は図られず、世界に失望が広がった。

 すると、数日後、ロシアはシリアのアサド政権との信頼関係を背景として、シリア政府に化学兵器所持を認めさせると同時に、シリアが未締結であった化学兵器禁止条約体制の中で同兵器を国際的に管理する解決策を打ち出した。それはアメリカの主張を否定しない形で武力介入を回避し、ロシアがシリア管理の主導権を握るというロシアにとっての妙案であった。それを元に9月14日の米ロ外相会談にてシリアの化学兵器廃棄が合意され、当面、シリアへの武力行使は回避されるに至った。

 その方針は世界的にも評価され、各国関係者からは歓迎の声が上がった。また、多くのマスメディアはそれを一大事が成し遂げられたかのように伝えたのである。その時、私は絶えず自らに問いかけ続けた違和感の理由が分かった。

 国際的な協調をもって、問題に対処する姿勢が示されたことは、確かに望ましいことである。しかし、それが果たして「正解」なのか、という問いに対して諸手をあげては賛成できない。なぜなら、

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