2013年10月01日
先日、永田町や霞が関では知らない人がいないくらい有名な西田陽光さん(注1)の「卒業式」があった。
「卒業」というのは、正確にいうと語弊がある。西田さんが、16年勤めてきたというか牽引してきた、政策シンクタンク「構想日本」を今年の6月に辞めたのだ。それを、「卒業」と見なしたわけだ。
構想日本は、1997年に設立され、研究よりも実際の政策形成過程に影響を与えることを目指したシンクタンクだ。事業仕分け等さまざまな提案や実践を行い、とくに事業仕分けは民主党政権にも採用され、構想日本の関係者は政権運営や実務に関わったりした。
西田さんは政権に関わることはなかったが、軽快なフットワーク(正確には自転車)で永田町や霞が関を、そして全国各地を軽快に動き回り、現場を知り、人と人とを結び付け、構想日本を牽引し、時にはその枠を超えて、昼夜を問わず力強く物事を進める活動をしてきた。
そうした活動をする人は、目立ちたがりであったり将来議員を目指す者が多いが、大義を信じて後ろ支えをしていこうという人は非常に少ない。だが、西田さんは、政策コミュニティーにおいて、後者の貴重な人材だ。
また西田さんは、人を肩書きや役職あるいは知名度、年齢や性別で判断せず、その人が本物かどうかを人物本位で見極め、人間関係を構築していくタイプだ。また、自分で正しいと信じたものや行動を支え、後押し、社会に広めていった。
そして西田さんのもう一つの特長というか凄さは、エネルギーに満ち溢れた、執念にも近い継続性だ。相手の問題や課題を舌鋒鋭く指摘しながらも、外連味(けれんみ)なく正面から、倦まずたゆまず支え続ける力だ。
例えば、西田さんが長年手塩にかけてきた、学生が
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