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プロパガンダのメディアとしての北朝鮮の切手

内藤陽介(郵便学者)

 北朝鮮で金正恩(キム・ジョンウン)体制がスタートして1年半余りが過ぎた。

 政治、軍事的に実績のないまま、若くして権力の座に祭り上げられた金正恩第1書記は、建国の父であり、自らの祖父である金日成(キム・イルソン)主席に連なる王家の血筋を強調する以外に、現時点では自らの正統性を主張する根拠を持たない。切手は、そうしたプロパガンダ政策の一つのメディアとして利用されている。

AJWフォーラム英語版論文

 金正恩が切手に登場したのは、父・金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去直後の2011年12月30日に発行された「偉大なる領導者・金正日同志は永遠に我々と共におられる」(以下、「共におられる」)と題するシートが最初である。(写真1

誕生日用の切手を追悼用に使う?

写真1

 この切手は、金正日を追悼する切手の嚆矢(こうし)として発行された。死亡の翌日から制作作業を開始したとしても発行日までは約2週間しかない。デザイナーがゼロから切手の原画をつくり、郵政当局が承認し、裏糊と目打を備えた切手を、少なくとも数十万枚単位で製造し、全国の郵便局に配るまでには、多くの国では普通、1~2カ月はかかる。いくら朝鮮人民が“革命精神”を発揮しようとも、2週間は短すぎる。

 金額が“70ウォン”となっていることから、実際には、翌年2月に予定されていた総書記70歳の誕生日用に準備されていたデザインを、追悼切手として転用したと考えるのが自然ではなかろうか。

 金正恩が朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長となり、父の後継者としての立場を確立したのは2010年9月のことだった。以後、父は後継者としてのお披露目を兼ねて息子を重要行事に同伴させ、雰囲気を盛り上げて、権力の継承を円滑に進めようとした。

写真2

 「共におられる」の切手(1)では、父子は同じコートを着ており、ズボンや靴の色やデザインもほぼ同じだ。父がサングラスをかけていることもあって、鼻から口元にかけての2人の表情も、血のつながりを感じさせる。こうした演出の背後に、金正恩を金正日の“分身”として位置づけようとの意図があるのは明白である。

 ところが、金正恩が後継者として党や軍の権力基盤を確立する前に、父は亡くなってしまった。金正日抜きで為政者としての権威を獲得しなければならなくなった金正恩は、父親を飛び越え、北朝鮮においては“唯一絶対神”に等しい存在である金日成の孫であることを強調せざるを得なくなった。

 こうした変化を象徴しているのが、2012年4月11日に発行された「朝鮮労働党第4次代表者会」の切手シートである。(写真2

背広にネクタイ 祖父をまねる

写真3

 このシートは、父子の切手が1枚ずつ収められている。父がトレードマークともいうべきジャンパー姿であるのに対して、金正恩は背広にネクタイ姿である。父の写真にネクタイ姿のものがないわけではないが、人民服もしくは、独特のジャンパー、半袖シャツなどカジュアルな姿が圧倒的に多い。むしろ、ネクタイを締めるという服装は祖父・金日成が好んだスタイルである。「共におられる」の切手(1)では、金正恩は正日の分身として父と同じ服装をしていたが、この切手では、正恩は父とは別の人格で、むしろ父を凌駕する金日成の再来というイメージを演出しようとしている。 

 1962年4月14日に発行された「金日成元帥誕生50周年」の記念切手に取り上げられた金日成像(写真3)と比べてみると、金正恩があらゆる面で金日成を真似ているのが良くわかる。

 金正恩が父以上に祖父・金日成に範を取った自己演出を試みている以上、金正恩政権の思考回路も、金正日時代ではなく、金日成時代のモデルに回帰しようとする傾向が強まるかもしれない。

写真4

 北朝鮮が「人工衛星ロケット」と称する、銀河3号ロケットの打ち上げ成功の記念切手が2012年12月に発行された。(写真4)。北朝鮮は1998年、人工衛星「光明星1号」を載せた、いわゆる「テポドン」、2009年の銀河2号ロケットの打ち上げに際しても、発射後、記念切手を発行している。金正恩の「新年の辞」でも取り上げられているように、「人工衛星ロケット」は国威発揚の最大のシンボルである。シート地にはロケット発射のデータが英語と朝鮮語で詳細に記されており、諸外国のメディアやコレクターを意識したつくりだ。

 2013年、所信表明演説に相当する「新年の辞」を発表する金正恩を取り上げた切手(写真5)が、2月19日に発行された。金正恩は2013年を「金日成、金正日朝鮮の新たな100年で、社会主義強盛国家建設の転換的局面を開く創造と変革の年」と位置づけたうえで、前年末のミサイル発射の“実績”を踏まえ、「宇宙を征服した精神で、経済強国建設を」と1年の目標を掲げた。

政治、社会の変化が読める

写真5

 独裁国家の場合、切手を政治宣伝の媒体、特に、独裁者とのその体制の権威を誇示する手段として活用することはしばしばみられる。北朝鮮の場合、彼らの“国体”の根幹に位置する金一族を称える切手や、“強盛大国”など独特のスローガンを掲げた切手が主流となるが、米国や韓国を名指しで非難する切手は決して多くはない。

 プロパガンダ切手は、一見すると、内容的にどれも大差ないようにもみえるが、デザインや発行のタイミングなどを精査してみると、北朝鮮国内の政治的・社会的な変化がうかがえるケースも少なからずあり、貴重な情報源といえる。

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内藤陽介(ないとう・ようすけ) 1967年生まれ。東大文学部卒。切手などの郵便資料から、国家や地域のあり方、歴史を読み解く「郵便学」を提唱している。著書に「マリ近現代史」「蘭印戦跡紀行」(いずれも彩流社)など。

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本論考は朝日新聞AJWフォーラムより収録しています