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 「アジア諸国との関係については、わが国が地理的に同じ地域に属するというだけではなく、人種的、文化的親近感につながる強い心理的紐帯があるのであつて、前述の『アジアの一員』との原則もここに出ずるものでありわが国としてこれら諸国との善隣友好関係を進めることが当面の第一の重要課題である」(外務省「総説 二 わが国外交の基調」『昭和32年版 わが外交の近況』、1957年)

 冒頭の文章は日本の『外交青書』第1号に掲げられている日本外交の基本線である。この文章の前には「国際連合中心」、「自由主義諸国との協調」および「アジアの一員としての立場の堅持」の三大原則が記されており、この日本外交の三大原則は今日まで日本の国是となっている。

 これらの三大原則がありながら、なぜ国会議員たちや知事、地方議員たちのなかには人種差別的な誹謗中傷発言をするものがあとを絶たないのか。ヘイトスピーチは各先進国の基準からすればレイシストと認定され、政治生命を断たれる自殺行為ですらある。

 政治家らがヘイトスピーチ的な言辞を繰り返すのは、もちろん彼らのパーソナリティによるところも大きいだろう。ここでより注目すべきは、極右と位置づけられる議員らは人種差別的な発言にくわえて、必ずといってよいほど戦後民主主義の否定と戦前への回帰、すなわち、かつての大日本帝国という戦前の日本を賛美し、帝国の記憶を喚起させるような発言をコラテラルに行う点である。

 人を傷つける発言や中傷発言という行為が、彼らの発言に先立つ行為、すなわち過去の帝国日本の「負の記憶」(彼らにとっては「負の記憶」ではない)を反響させる。

 そこでの人種差別的な中傷発言が特定の人々に対しては最上のアピール効果として政治的に力を持つのは、先行するかつての帝国主義の日本という権威的な一連の実践を反復・引用することを通じて、権威の力を彼らのなかに蓄積し、それら過去の亡霊のような権威の衣を借りるのである。

 まさにバトラーが喝破したように「人種差別的な誹謗をする人は、そういった誹謗を引用し、言語を介してそのような発言をしてきた人たちの仲間になっていく」ことを促す資源として機能しているためである。

 まず彼らは蔑視表現を行うことで、わたしたちの国が過去の日本の行った数々の侵略行為の反省のもとに築きあげてきた憲法9条という平和主義ならびに「自由主義諸国との協調」「国連中心主義」、そして「アジアの一員としての立場の堅持」という、わたしたちが戦争を経験した前の世代から受け継いだ日本外交の三本柱を掲げる戦後民主主義を、何の臆面もなく否定してみせる。

 そしてかつての帝国の幻影を召還することで、本来は彼ら自身のなかに持ち合わせていないはずの権威を、戦前からの言語的反復のなかから借りてくるとともに、それらを流布させることでさらに彼らの力を増そうと試みるのである。

 つまり彼らは過去の帝国日本を賛美するとともに、差別発言によって過去の帝国の幻影という権威の衣を借ることで、自身の賛同者を、そして利益を得ようとする者たちなのだ。

 そしてこのように機能させているのは、 ・・・ログインして読む
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筆者

五野井郁夫

五野井郁夫(ごのい・いくお) 高千穂大学経営学部教授(政治学・国際関係論)

高千穂大学経営学部教授/国際基督教大学社会科学研究所研究員。1979年、東京都生まれ。上智大学法学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了(学術博士)。日本学術振興会特別研究員、立教大学法学部助教を経て現職。専門は政治学・国際関係論。おもに民主主義論を研究。著書に『「デモ」とは何か――変貌する直接民主主義』(NHKブックス)、共編著に『リベラル再起動のために』(毎日新聞出版)、共訳書にウィリアム・コノリー『プルーラリズム』(岩波書店)など。

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