「屈辱」と「祝賀」の間には深くて暗い河がある
2013年04月26日
モスクワでの取材を終え、極東ハバロフスクでこの文章を書いている。かなり以前のヴィタリー・カネフスキー監督のロシア映画のような空気が覆っている。中ロ国境の軍事的要衝であることも影を落としているのかもしれない。それぞれの土地にはそれぞれの背負ってきている歴史というものがある。そのことをいま考えている。
さて、2012年末まで沖縄タイムス紙で2年にわたって連載していた『ワジワジー通信』をこのWEBRONZAで再開することにした(「ワジワジー」とは沖縄でイライラしたり、歯がゆい思いをしたときの気持ち)。WEBRONZAでアップしたコラムは、その10日後に沖縄タイムスのWEB版でも公開されることになる。
今後も東京から、沖縄から、それに今回のようにロシアから、書く場所がどこであろうと、沖縄にこだわり続けたいと思う。
WEBRONZAの担当の高橋伸児さんとは、再開第1稿を今年4月28日の「主権回復の日」の政府主催祝賀式典の前に何とか間に合わせたいと相談していたのだが、ギリギリの入稿となってしまった。ごめんなさいね。
まずは素朴な問いをひとつ。サンフランシスコ講和条約の発効から61年もたって、一体何の理由で今年、政府主催の祝賀式典なるものが行われなければならないのか。
この問題を考えるヒントのひとつに、今年3月7日、唐突な印象も残る衆議院予算委員会での質疑がある。
自民党の野田毅議員の「主権回復の日」の記念日制定にからんだ質問に対して、安倍晋三首相はいきなり「政府主催の式典を実施する方向で検討しております」と答弁した。
ここから事態が現実味を帯びた出来事として動き出した。実はそれをさかのぼる2012年4月28日に、その野田議員が会長をつとめる主権回復記念日制定議員連盟が開催した「主権回復60周年記念国民集会」という集会があった。会場は自民党本部8階ホール、当時は野党であった自民党の総裁・谷垣禎一氏も参加していた。
その場にビデオメッセージを寄せていた安倍晋三氏(当時は元総理という肩書で紹介されていた)はそこで憲法改正の必要性を訴えたうえで「真の独立の精神をとりかえす」などと述べていた。
それから8カ月後に政権を掌中にするや満を持していたかのように、先の唐突な国会質疑を経て、あれよあれよという間に政府主催の主権回復祝賀式典を閣議決定してしまった(3月12日)。沖縄県の仲井真弘多知事が式典に出席しない意向を表明するよりかなり前のことである。さまざまな歴史的な機微を含むこの問題の扱いに、細やかな配慮が加えられた痕跡は見当たらない、というよりか、いわば、やりたい放題である。
沖縄ではこの日が長年にわたって「屈辱の日」として語り継がれてきた。それは後述するように、サンフランシスコ平和条約の発効で沖縄が日本から切り離されアメリカに差し出された日であるからだ。
安倍晋三という人物は学校の学年で言うと僕のひとつだけ下のいわば同世代人だ。けれども僕の周りには、幸か不幸か(?)安倍氏のような国家観を持っている人物はほとんどいなかったと言ってよい。
少なくとも高校生だった当時の僕のまわりは、「4・28沖縄デー」という言葉などを通じて、4月28日が沖縄にとって特別な意味を有している日付けであることくらいは知っていた。住む世界が違っていたのだと言われればそれまでだが。
沖縄の「屈辱」と本土の「祝賀」のあいだには決定的な「裂け目」がある。そうそう、僕が高校生の頃、「4・28沖縄デ―」という言葉を初めて聞いた頃に流行っていた歌がある。
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