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【緊急寄稿 無料!】 自民・石破茂幹事長の「デモ」=「テロ」発言の危うさ――民主主義は国会の外にもある

五野井郁夫 高千穂大学経営学部教授(政治学・国際関係論)

 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」(日本国憲法 第二十一条)

 特定秘密保護法案に不安を感じ、強行採決に反対している国民の声を自民党の石破茂幹事長が本人のブログで「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と評した。それから3日と経たないうちに、石破幹事長は同発言の「テロ」部分を撤回する考えを示した。

 石破二郎という立派な政治家を父に持ち、当選回数9回も数え、大臣も歴任した石破茂幹事長ほどの政治家が、なぜ憲法21条で保障された人びとの声による訴えを「ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為」であり「テロ行為と変わらない」と断じたのだろうか。たとえ何らかの意図があったとしても、政治家としての常識を疑わざるを得ない。

 石破幹事長の真意はどうであれ、人びとが声をあげるのには単純な理由がある。人びとは特定秘密保護法案を承服していないからだ。実際に、朝日新聞社が11月30日から12月1日に全国緊急世論調査(電話)を実施したところ、同法案への賛成は25%しかなく、反対は50%で、賛成のじつに2倍になった。

 そして同法案の今後をどうするべきかについては「継続審議にするべきだ」が51%にのぼり、「廃案にするべきだ」が22%と続いた。いまの与党自民党と公明党、そして野党だが賛成票を投じたみんなの党が会期内での通過を目指している方向である「今の国会で成立させるべきだ」は14%にとどまった。

 耳障りだと感じる他者の意見を消音しようとするのは、民主主義ではない。自分とは異なる立場の声に耳を傾けず、権力の側が人びとの声のボリュームをしぼろうと躍起になるのは、民主主義とは真逆の独裁や全体主義へと転げ落ちてゆく危険な道である。

 民主主義とは、自分とは意見や立場の違う者の存在を力でねじ伏せて黙らせるのではなく、異なる意見をいかにして取り入れ、説得してゆくのかを人類が歴史のなかで獲得してきた枢要な知の技法だ。

 石破幹事長は「国会の周りに大音量が響き渡っているが、周りにいる人たちが恐怖を感じるような大きな音で『絶対に許さない』と訴えることが、本当に民主主義にとって正しいのか。民主主義とは少し路線が異なるのではないかという思いがするが」と、歯切れの悪い弁解をしている。

 けれども、石破幹事長は平和に抗議をしている人びとを前にして自分の「恐怖」を吐露するよりも先に、国民が特定秘密保護法案に不安と「恐怖」を感じているのを想像すべきだろう。国会のまわりに集まっている人びとは、いま通過させようとしている法案と強行採決という乱暴さに対して、文字通り「恐怖を感じる」からこそ抗議を行っているのだが、そうした政治的想像力を肝心の政治家が欠いたままでは、国民の理解は到底得られないだろう。

 当たり前だが、民主主義とは何も議会だけの専有物ではない。石破幹事長は、民主主義は国会の衆参両院内だけで行われるものという政治観しか持ち合わせていないようだ。もちろん、そうした政治観は間違いである。

 わたしたち国民は選挙のときだけが主役で、選挙後の数年間は脇役や観客として黙っていろ、などと命令される筋合いはない。なぜならば、現代の日本では議会の外にも民主主義の政治があるからだ。

 わたしたちには憲法上の権利として、請願や集会、表現の自由、団体交渉まで、選挙以外にも議会外、すなわち衆参両院の外で数多くの民主主義の方途を有しており、これらはいずれもわたしたちが自由に行使しうるものだ。もっとも、いまの与党にとっては行使されては都合が悪いのだろうけれども。もしこれら憲法が保障する国民の権利たる院外の民主主義を知らなかったのであれば、いまここで学んでほしい。

 こうした議会外、あるいは院外の民主主義の存在を理解できていなかったがゆえに人びとの声に聴く耳を持たず、議会内でふんぞり返って「静穏を妨げる」と述べるに留まり人びととの対話を避けているようでは、いまの自民党政権はかつての民主党政権よりも器が小さいという評価をせざるを得ないだろう。

 というのも民主党政権時、脱原発というテーマをめぐって官邸前に集まっている人びとを野田佳彦前首相は「大きな音だね」と評し顰蹙を買ったのを挽回すべく、官邸内に招き入れて対話を行うだけの気概が少なくともあったからだ。

 石破幹事長は「絶叫戦術」と呼んだが、日本全国や国会前、官邸前、そして議員会館前で声をあげている人びとは、日々の生活に追われ忙しいなか、やむにやまれず声を出している。人びとのやむにやまれずの声をまるで「テロ行為」と変わらないというのは国民と民主主義を愚弄している。

 もしかすると石破幹事長がファンクラブで追っかけをやるほど大好きなキャンディーズの曲でも流したり、彼を応援するものだったらよくて、意に沿わないものだったら否定するのだろうか。

 いずれにせよ、民意を「絶叫」と評するくらいの理解しかないほどに鈍感で、憲法で保障された言論の自由を否定する石破幹事長には、国民の代表として国政に携わる国会議員の資質を欠いていると云わざるを得ない。

 おそらく、今回の石破幹事長による「デモ」=「テロ」発言は、本人が軽はずみにブログに書いた以上に、重いものであろう。というのもあのブログ発言には、特定秘密保護法案によって消音したい対象が何なのかという本音が透けて見えるからだ。

 特定秘密保護法案の第十二条はテロリズムを「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう」としている。

 これまでは、この定義にある「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要」がそのまま「するための活動をいう」にかかるのかどうかが一つの争点だった。だが石破氏の発言は市民活動をテロと同一視する認識であり、主義主張を掲げて活動しただけでテロになる可能性が生じることが浮き彫りとなった。

 要するに、石破茂幹事長が口を滑らせたことで、特定秘密保護法案のテロの定義である「主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要」という法案の具体的な範囲に、市民活動をテロと同一視する危険性も孕むことが人びとの知るところとなったのである。憲法で保障されている人びとの権利をこれほどまでに脅かし制限する可能性がある法案を、衆議院特別委員会はたったの45時間で強行採決したのだから、国民の不安はますます募るばかりだ。

 こんな時代だからこそ、繰り返し云おう。わたしたちは選挙以外のときでも、憲法で保障された権利として、路上に出て声をあげることで政治家を正すことが出来る。これが民主主義だ。人びとが国会前や日本中で怒りをもって院外から民主主義の声を届けなかったら、自民・石破幹事長は今回「テロ」の部分を撤回する素振りすら見せなかっただろう。

 自民・石破茂幹事長の「デモ」=「テロ」発言は図らずも秘密保護法案の危うさを露呈させた。たとえ石破氏が「テロ」部分を撤回したところで人びとの不安は完全に払拭されないだろう。多くの政治家が失言をするとすぐに撤回をして何もなかったかのように振る舞っているが、こうした失言と撤回が繰り返されるようでは、政治家の言葉からは誠実さが失われ、政治への失望が広がるばかりである。その意味でも、今回の憲法上の権利と民主主義自体を否定した石破党幹事長の失言は、撤回すれば済むようなものではないのだ。

 ちなみに、同法案に反対する弁護士グループを代表して、神原元弁護士が自民党本部に電話したところ、自民党本部の担当者が電話で「テロと言われてもいいくらいの暴力的なことを、表現の自由を盾にやっている人たちはたくさんいる」と述べたことが明らかになった。電話をした神原弁護士の表現を借りれば「石破氏個人ではなく党の体質」なのである。

 では、今回の石破幹事長の失言と、国民の全国での反対の声に対して、自民・公明の与党はどう応じるべきか。民主党政権が行ったように、官邸前や国会前に集まっている人びとと、首相官邸内で対話を行うのも一つの手段だろう。

 もちろん、無理強いはしない。ただ、初の政権運営だった民主党政権ですらやってみせた対話を長きにわたって政権を運営してきた与党が出来ないのであれば、そのときは現政権の政治対話を行う技量のなさ、与党としての器の小ささを潔く認めて、法案をいったん白紙撤回するなり、強行採決ではなく国会の会期を延長してでも丁寧に国民を説得するべきだろう。

 それが憲法上の権利を否定しておきながら、それでいて改憲を意気込んでいる与党側が最低限、国民に対して見せるべき誠実さというものだ。

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筆者

五野井郁夫

五野井郁夫(ごのい・いくお) 高千穂大学経営学部教授(政治学・国際関係論)

高千穂大学経営学部教授/国際基督教大学社会科学研究所研究員。1979年、東京都生まれ。上智大学法学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了(学術博士)。日本学術振興会特別研究員、立教大学法学部助教を経て現職。専門は政治学・国際関係論。おもに民主主義論を研究。著書に『「デモ」とは何か――変貌する直接民主主義』(NHKブックス)、共編著に『リベラル再起動のために』(毎日新聞出版)、共訳書にウィリアム・コノリー『プルーラリズム』(岩波書店)など。

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