メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

「場」に加わる。次は自分で「場」をつくってみる――民主主義の基礎として

宇野重規×湯浅誠

宇野重規×湯浅誠

湯浅 ある人が問題意識を持って、ある活動を始めたとしますね。でも、それが世の中の「習慣」になるかどうかということなんですが。
 たとえばマーケティングの理論で、ある先進的な商品が発売されたとして、いち早くその存在に気づいて購入するのが全体の2.5パーセント。そうした先端的な人たちに遅れを取るまいとその商品を買うようになるのが、13.5パーセント。そんな風にして16パーセントの人たちがある商品を使うようになると、34%の人たちがその商品を買い求めるようになる。そして最後に16パーセントの人が残るけど、その商品のユーザーは全体の84パーセントを占めるようになっていて、それによって社会のイノベーションが起きるという理屈です。
 そうであるとして、そこで重要なのは、最初の2.5パーセントの人々と次の13.5パーセントの人々のうち、後者の方じゃないかと思うわけです。この13.5パーセントの人々が現れることで、次の34パーセントの人たちが現れる。そんな風にして、16パーセントの人々がまず動くことで、世の中も動く。けれど、日本の人口で言ったら、16パーセントというのは2000万人ですよ。最初の2.5パーセントでも、300万人。いずれにしても、相当な数です。
 ここ日本でも、数え切れないほどの試みがなされてきたし、今もなされているはずですが、その中で「習慣」にまでたどり着けなかったものが、それこそ山のようにあるわけですよね。だとすると、「習慣」になり得るものとそうでないものを分けるのは、一体何なのか? 『民主主義のつくり方』の前半部分で書かれていた、プラグマティズムが考える「習慣」というのは、いわば人格でもあるわけですよね?

宇野 最終的にはね。

湯浅 もちろん、自分がしていることは、私にとって人格になっていると思うのですが、それが300万人規模の「習慣」になっているかというと、そうは思えない。ことさら悲観的なことを言おうとしてるわけじゃないのですが……。

宇野 すごく分かります。

湯浅 そうすると、もっと何か他のものを積み上げていかなくてはならないのじゃないかと……。それが何なのか、教えてほしいと思って。

共感を得るために必要なもの

宇野 湯浅さんは実際に活動をしてきたわけで、みんなを動かしていくことの難しさを実感しているでしょうし、それこそ、一人の人を説得するだけでも――。

湯浅 大変なんです。

宇野 10人、100人、そして1000人という単位で、人の「習慣」を変えていくなんて、ひどく気が遠くなるような話だというのは、とてもよく分かる。まったく仰るとおりだと思うのだけど、これまで民主主義による決定って、多数決が原則で、半分以上が賛成しないと決まらないという風に思われてきたでしょう? でも、この「習慣」という観点からすれば、もっと少ない人数でも、変化のきっかけが生じ得るわけです。それこそ、全体の2~3パーセントであっても、社会が変わる可能性がある。湯浅さんが村長を務めた「年越し派遣村」だって、最初に動いたのは――。

湯浅 2~3パーセントよりも、もっと、もっと少ない。

宇野 ごくごく一握りの人であっても、あそこまで出来た。海士町の例で言っても、最初に動いたのはごく少数の人たちだったと思う。ならば、その人たちがみんなを説得して多数派になれれば動かせるのかというと、それは違う。じつは社会というのは、ごく少数であっても、あるポイントを超えると一気に変わるということがあって、その一つの表現が、最初の2.5パーセントの人間と、それに続く13.5パーセントの人間が出現すれば、がらっと変わるという先ほどの理論なんだと思う。
 海士町の場合、コミュニティデザイナーの山崎亮さんの力を借りながら、最初の少数の人たちが、一軒一軒回っていって、100人ぐらいの人たちを説得していった。最初は消極的だった100人の人たちが、やがて関心を持ち、熱心に参加してくれるようになって、島の未来について、みんなで議論していこうということになった。
 そこで初めて、島の多くの住民たちが、その流れに加わるようになったんですね。もちろん、それを日本全体のこととして考えてしまうと、気が遠くなる。けれど、海士町のような、2500人規模の町であれば、そうした劇的な変化が、あるポイントを超えた瞬間に起き得るわけです。

湯浅 それは全くその通りだと思う。この問題は、自分で考えなくてはならないことで、実際、考えているわけですけれど、いまの例で言うと、最初のごく少数の人たちが、残り大多数の人たちの共感を得る上で必要なものって何だろうって思うわけです。

宇野 なるほど。

湯浅 おそらくそれは対話であったり、こちらの態度であったり、考え方であったり、振る舞い方であったり、見た目であったり……、たぶん全人的なものだろうと私は思っているのですが、ごく少数の人間が残り大半の人たちに対して働きかけるときに、それが重要なんじゃないかと思っているのですね。
 それから、人を一人説得するだけでも大変というのはまさにその通りで、こういう話のときによく言うのですが、2012年の衆院選の投票率は59・32パーセントで戦後最低だったわけですね。それで、せっかく自分は投票に行ったというのに、世の中には行かない人がこんなにもいて、お陰でこんなことになってしまったと文句を言う人がいたとしましょう。ならば、このとき投票に行った59パーセントの人たちが、それぞれ一人ずつ投票所に連れていけば、118パーセントになる。
 でも、そうならなかったわけだから、はなから選挙に関心がない人、投票なんてする気がないという人たちに対して、投票に行った人たちは、一体どんな対話をしたのだろうって思うんです。衆院選の投票率というと、何か大きな話のようですが、実はそんなところに民主主義を活性化するための肝があるんじゃないか。

宇野 なるほど。

湯浅 そこで重要なのは、問いの立て方なんじゃないかと思っていて。今の例で言うと、59・32パーセントという戦後最低の投票率を、選挙に行かなかった40・68パーセントの人たちの問題にしてしまったら、投票した人は何の問題もないということになってしまう。そのとき、投票率がもっと高い方がいいとその人が思ったとすれば、選挙に行って何も変わらないし、たった1票を投じたところで何になるのっていう人に対して説得を試みるとか、自分にも何か出来ることがあったのじゃないかという、自分の問題になる。つまり、問いをどう立てるかで、自分の問題になるかどうかが、全く変わってしまう。そのとき、自分の問題にならなければ、工夫の余地も何も生まれない。
 それを自分に引き付けて言うと、身の回りで投票しなかった人って、一人もいない。それは交友関係が限られているからでもあるとして、もし、選挙なんてという人が身近にいたら、「選挙には行くべきだよ」と言っても納得してくれないだろうから、どんな風に話をしたらいいだろうって考えるわけです。どうしたら「なるほど」と思ってもらえるかというのは、テクニカルなことでもあるけど、自分が問われることでもある。そういうことが、民主主義を考える上で大切なんじゃないかと思うんですね。

宇野 なるほど。確かに、選挙に無関心な人に対して、「投票に行こうよ」と説得しようとしても、それはなかなか難しいよね。

湯浅 難しいですよ。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。