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繰り返される? 五輪で呪われた英雄の悲劇(下)――締め付けられる「報道の自由」

大野正美 朝日新聞記者(報道局夕刊企画班)

 「モスクワのこだま」はソ連末期の1990年に開局した。以来、時々の政権に有利なことも不利なことも客観的に伝える報道姿勢を貫き、ロシアで最も人気のあるラジオ局となったが、経営は現在、政権に近いロシアの巨大天然ガス企業「ガスプロム」の系列に入っている。

 ワシリエフ第一副議長の「恫喝」の後、「モスクワのこだま」の株主総会は22年間も社長を務めてきたユーリー・フェドゥチノフ氏(55)の解任を突如決めた。独自路線の先行きには暗雲がたちこめた。

 実際には、ロシアがウクライナのクリミア半島の分離問題で介入を本格化した2月末以降も、「モスクワのこだま」はクレムリンに批判的な内容を含めて活発な報道を続けている。

 たとえばクリミア入りした記者は、半島に送り込まれたロシア軍兵士に、ユーゴスラビア内戦やチェチェン紛争で活動した特殊部隊員が含まれていることを、欧米メディアに先駆けて伝えた。ロシア政府が「暴力的なクーデター」で政権についたとして正統性を認めていないウクライナ暫定政府の閣僚のインタビューなども盛んに報じている。

ベネディクトフ編集長=撮影・筆者アレクセイ・ベネディクトフ編集長=撮影・筆者
 独自の報道を続けられる背景には、1998年から編集長を務めるアレクセイ・ベネディクトフ氏(58)とプーチン大統領との個人的な関係もある。

 編集長はプーチン氏によるメディアや言論の締めつけには批判的だが、大国ロシアの復興を目指す拡張主義的な対外政策には好意的だった。

 今回もクリミア半島問題へのロシアの介入について、1955年に当時のフルシチョフ・ソ連共産党第一書記によってロシアからウクライナに移管された「歴史的な誤りを正す歴史的な選択をした」とプーチン氏を評価する姿勢を示している。取締役会も3月15日、編集長については5年の任期つきで再任を認めた。

 「モスクワのこだま」の報道の自由は、経営面での包囲網が狭まる中、編集長による政権との関係の微妙なかじとりによって、かろうじて維持している形である。

 こうした折、ロシアで報道機関の活動を監視する国家監督委員会は3月12日、インターネット情報紙「レンタ・ルー」が「民族感情を扇動した」とし、メデイア法違反容疑で警告を発した。

 ロシア政府がテロリスト団体とし、ヤヌコビッチ前大統領を追い落としたウクライナの政変時の流血の衝突でも大きな役割を果たしたとされる同国の民族主義団体「右派セクター」の指導者とのインタビューを報じたというのが容疑である。

 インタビューは、「ウクライナ民族主義を支持すれば、どんな民族とも共存する」、「ロシアと公然とした軍事紛争になれば大規模なパルチザン戦争で応じる。だがクリミアでは挑発に乗らない」など「右派セクター」の活動方針をくわしく聞き出している。いまだに正体のよくわからない団体の実像に迫るものだが、レンタ・ルーはただちにガリーナ・ティムチェンコ編集長を解任し、クレムリンに近いインターネット紙「ブズグリャード」の編集長だったアレクセイ・ゴレスラフスキー副社長を後任に据えた。

 これにレンタ・ルーの記者集団は、「独立した編集長を解任し、クレムリンから直接、管理可能な人間を据えた」とし、「この半年で自由なジャーナリストがロシアでは劇的に減った。災厄は私たちに働く場所がないことではない。読むに足るものがなくなってしまうことだ」とする抗議声明を出した。39人の記者らは自発的な退社も表明した。

 声明にあるように、ロシア政権による報道統制の荒波は2013年12月、ソチ五輪の公式通信社だった国営ノーボスチ通信を突然解体したことで始まった。後継組織は国家政策を世界に伝えることを主な任務とし、社長には同性愛者への嫌悪を隠さないテレビ司会者ドミトリー・キセリョフ氏が据えられた。

 その後、レニングラード包囲線に関する世論調査が独ソ戦の栄光の歴史をおとしめたと、衛星とネットを基盤とするテレビ局「ドーシチ(雨)」が攻撃されるなど、独立系メディアへの締めつけも本格化した。

 クリミア危機の今、全国ネットのテレビは

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