小北清人(こきた・きよひと) 朝日新聞湘南支局長
朝日新聞入社後、大阪社会部、AERA編集部などを経て現在、朝日新聞湘南支局長。92~93年、韓国に語学留学。97年、韓国統一省傘下の研究機関で客員研究員。朝鮮半島での取材歴多数。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「この機会を逃したら、もう永久に、孫と会うことはできないかもしれない」
81歳と78歳。時間は残酷なもので、夫妻は「残された時間」と体調を考えざるを得ない年齢となりました。横田滋さんと早紀江さん。中学生だった娘のめぐみさんが新潟で北朝鮮工作員に拉致され37年になります。夫妻が、めぐみさんが北朝鮮で産んだ娘のキム・ウンギョンさん(26)やその夫らとモンゴルのウランバートルで3月10~14日、極秘に会った背景には、そんなギリギリの選択がありました。
同じ拉致被害者家族の人たちや、支援団体の「救う会」関係者にも伝えず、「京都の法事に出かける」と言い残し、息子さんに伝えたのも出発の前日。その徹底した「保秘」ぶりには、夫妻の「どうしても会いたい」決意のようなものが感じられました。
そして、北朝鮮との交渉で面会を実現させた外務省と安倍官邸の、ついにマスコミに事前に報じられることなく、ことを成就させた隠密ぶり。
政府の拉致対策本部の関係者さえ、「知らなかった」というのですから。それだけ官邸も実現に必死だったということでしょう。もし事前に報じられていたら、喧々諤々の大騒ぎになり、面会が実現せずに終わる可能性もありました。
「(面会が実現し)一つ肩の荷が下りた思いもする」
3月19日の参院予算委員会でそう答えた安倍晋三首相の気持ちもわかるというものです。
面会の事実は、夫妻が帰国して間もなく某紙がスクープ、明るみに出たのですが、あたかも「政権首脳が成果を誇示するためにリークしたのでは」と思えるほど、まさにドンピシャのタイミングでした。
ただ、意外に思えたのは、ここ数年、孫と会いたい気持ちや、北朝鮮との「対話の必要性」を口にしていた横田滋さんはともかく、
「(ウンギョンさんに会わないかと誘われても)北朝鮮には行かない。行けば、めぐみが死亡したとの北朝鮮の主張に利用されてしまう」
と厳しい姿勢を崩さなかった早紀江さんがモンゴルに行く道を選んだことでした。
孫に会いたくない祖母がこの世のどこにいるでしょう。でも早紀江さんは、北朝鮮のペースに乗せられまい、と慎重な立場をずっと変えませんでした。金王朝が支配する北の体制にも極めて批判的でした。もちろん今回の面会場所は北朝鮮ではなくモンゴルであり、北のペースで進められたとは言えませんが、正直、意外の感はぬぐえませんでした。
関係者の話はこうです。
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