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『孫子』を「虎の巻」にして読む危険

櫻田淳 東洋学園大学教授

 世には、『孫子』ブームと呼ばれるものが再来しているのだそうである。確かに、過日、東京・日本橋の老舗書店では、この数ヵ月に刊行された『孫子』関連書が平積みで置かれていた。

 そもそも、戦後日本の論壇では、『孫子』に類する兵法書を題材にした「戦略論争」が賑やかであったのは、日本が「経済大国」としての絶頂期を迎えた一九八〇年代半ばであった。永き停滞の時代の後で、日本社会に「生気」や「活力」といったものが再び戻ってきているとすれば、『孫子』に注目が集まるのも、不思議なことではない。

 『孫子』に類する兵法書は、結局のところは、「生き残る」という人々の赤裸々な要請に応えたものであり、その「生き残る」という要請を支えるものこそ、人々の「生気」や「活力」なのである。「草食系男子」と呼ばれるものが前面に出た時代は、兵法書に対する要請が低落する時代なのかもしれない。

 ただし、『孫子』ブームが本当に再来しているのならば、問われなければならないのは、その「読まれ方」がどのようなものかということである。

 たとえば、二月下旬以降のウクライナ事変に際して、ウラジーミル・プーチン(ロシア大統領)麾下(きか)のロシア政府がクリミア併合を既成事実にしていった過程を前にして、『孫子』「軍争編」中の次の有名な一節を思い起こすことは、決して難しいことではなかった。

 「故に其の疾きことは風の如く、其の徐なることは林の如く、侵掠することは火の如く、……知り難きことは陰の如く……」

 プーチンが『孫子』を実際に参照していたかはともかくとして、ロシアの国民が快哉を叫んだ彼の手際は、「迅速かつ、隠然と」事を運んだという意味においては、この『孫子』の一節を髣髴(ほうふつ)させるものであった。シリア情勢への対応に触れるまでもなく、バラク・H・オバマ(米国大統領)の対外政策展開が精彩を欠いていたように見受けられた事情に比べれば、プーチンの対応に「覇気」が印象付けられたのは、否定しようがない。

 しかしながら、プーチンのウクライナ情勢への対応は、結果としては、特にG8(主要国首脳会議)の開催中止に象徴されるように、国際社会におけるロシアの立場を弱めるものになった。ポーランドやリトアニアのようなロシアに隣接するNATO(北大西洋条約機構)加盟諸国の対露警戒の姿勢も、顕著なものになった。

 プーチンは、クリミア併合という一つの政策目的の完遂には鮮やかな成功を収めたかもしれないけれども、対外関係の上で大きな「代償」を支払うことになった。

 これは、『孫子』に類する兵法書に何らかの行動の指針を求め、その行動を合理付けようとする姿勢には、一つの危険が潜んでいることを示している。『孫子』に類する兵法書は、多くの場合、「勝つ仕方」に絡む参考を供するかしれないけれども、「勝った後」のことまでは触れないのである。

 『孫子』は、確かに古来、日本でも折々に参照されてきた古典である。しかしながら、それは、中国大陸という「空間」と春秋戦国期という「時代」の上に成り立ったものであれば、それを日本の風土の中で参照するのは、注意が要する。

 たとえば、

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