2014年05月01日
4月16日に発生し、300人以上の死者および行方不明者を出したセウォル号の沈没事故に関して、韓国国内では政府に対する批判が高まり、4月27日、チョン・ホンウォン首相が辞意を表明した。大統領制を敷いているとはいえ、一国の首相が民間企業の起こした事故の責任をとって辞任したという事実は、その影響の大きさを物語っている。
この事故では、経験の浅い航海士による誤った航行、船員の偽装退避、過積載、不十分な積荷の固定、過剰増築に対する認証、誤った退避勧告、被害者家族に対する心無い対応などが折り重なるように発生し、船会社だけでなく、政府、延(ひ)いては韓国社会全体の問題とする論調が国内を覆っている。
加えて、人々の信頼を受けるべき輸送会社や政府に大きな不備があったということで、どん底の状況から先進国にたどり着いたという国民の誇りも大きく傷ついた。
また、日本の報道では余り触れられていないが、韓国人はこの事態に対して、酷く嘆き悲しんでおり、筆者が友人や家族とそのことを話していると、急に声に詰まることも珍しくない。
全国各地での追悼集会や焼香場の祈りや、犠牲者へのメッセージは様々な報道によって全国民が共有しているといって良い。一部の人に至っては、日々映像で流される犠牲者やその家族の様子を見ることで、精神的な疾患を発症することもあると聞く。
そうした状況を見ていると、一つの疑問が生じる。
「なぜ、それだけ犠牲者を悼む気持ちのある国民が、こうした人災を引き起こしたのだろうか」と。
悲劇に胸を痛める心と、関係者のずさんさ。その両者の間の溝は一見果てしなく遠いように思える。
しかし、
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