木村元彦(ジャーナリスト)
2014年05月09日
W杯ブラジル大会開幕まで2カ月を切った。旧ユーゴスラビアの国々のフットボールシーンを追って来た者として、ボスニア代表のことをしばし紹介していきたいと思う。唯一の初出場国であるというだけではなく、かの国は特殊な背景を持っている。その現状を紐解くことで今の国際情勢を可視化する一助になるとも考えるからだ。
かつて1992年から85年にかけて、ボスニアではムスリム、クロアチア、セルビアの3民族が激しく対立し、血で血を洗う『民族浄化』が行われた。内戦が終結した後も憎悪が消えることは無く、大統領評議会はじめ、行政機関の長は三つの民族が持ち回りで運営するという政治状況が続いていた。
サッカー界も例外ではなく、ボスニアサッカー協会の会長は輪番制で3人の代表が常に存在していた。これを問題視したFIFA(国際サッカー連盟)が会長の一元化を要請、しかし互いへの不信感に固まる3民族は決められた期限内に問題を解決できず、一時はFIFAからの加盟除名処分を受けてしまう。
この解決に乗り出し、大きく貢献したのが、元日本代表監督のイビツァ・オシムであった。オシムはFIFAから正常化員会の委員長の使命を受けて奔走。不自由な身体を引きずりながら、各民族の政治家や関係者に会ってサッカーでの民族融和を説いた。まさに命がけの仕事であったが、見事に会長の一本化を成功に導いたのである。(詳細は「オシムの言葉」文春文庫に記した)
ボスニア代表はサッカー界から一度、葬られた。その奈落からの帰還、そしてW杯出場。市民の歓喜は爆発的なものであった。
サラエボは6月の祝祭に向けて盛り上がりつつある。ここでW杯における対戦国に目を向けてみたい。ボスニアのブラジルにおける初戦はアルゼンチン。これはオシムにとっても因縁の相手。1990年のイタリア大会でマラドーナ擁する優勝候補を苦しめながらもPK戦で敗戦を喫した。
筆者が興味深く思っているのは、2試合目のイラン戦である。アジア予選で日本人にも馴染みのあるこの国とボスニアとは
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