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安保法制懇の無責任な報告書は訴訟リスクの塊である (下)――遵法意識の低い政府

木村草太 首都大学東京教授(憲法学)

3 集団的自衛権の概念

 さらに、本報告書は、従来認められていた「必要最小限度」の中に、集団的自衛権の行使も含まれるという、極めて奇妙な解釈を提唱する(21頁)。

(1)何のための「必要最小限度」か?

 そもそも「必要最小限度」という用語は、個別的自衛権の限界を示したものである。まず、この点を確認しよう。

 個別的自衛権とは、「自国への急迫不正の侵害」を除去するために実力を行使する資格を言う。では、「自国への急迫不正の侵害」とは何か。この点、現代国際法で最も重視されるのは「領域」であり、自国の領域(領土・領空・領海)内への武力攻撃がそれにあたるとされている。

 この点、自国領域内の外国人や外国の施設を防衛するための実力行使は、集団的自衛権でないと正当化できないと言う人がいる。しかし、「領域主権国家」という国際法上の大原則を前提とする限り、個別的自衛権は、「攻撃された人の国籍」を基準に判断するのではなく、「攻撃を受けた領域」を基準に判断するものである。自国の領域内への攻撃は、その国への攻撃であり、仮に、外国人しか住んでいない地域への攻撃だったとしても、それへの反撃は個別的自衛権の行使として正当化できる。

 また、自国領域の防衛のために、他国の軍隊や政府に協力してもらっている場合、それへの攻撃を除去する作用も個別的自衛権の範囲に含まれる。ポイントは、「領域への攻撃」が個別的自衛権の範囲を画定する要素だということである。

 この個別的自衛権の行使としての実力行使は、あくまで、自国領域への武力攻撃を除去するために必要最小限度でなければならない。

 これは国際法上の要請であり、日本政府も一貫して、個別的自衛権の行使は「必要最小限度」の範囲でなければならない、と解釈してきた。例えば、A国がB国からミサイル攻撃を受けている場合、B国内のミサイル基地に反撃を加えることは「必要最小限」と言えるが、B国の首都を空爆して一般市民を虐殺することは、その範囲を超える。

 このように、「必要最小限度」とは、「自国への攻撃を除去するための」必要最小限度ということである。

(2)集団的自衛権が「必要最小限度」?

 では、集団的自衛権を行使することを、従来の文脈で言う「必要最小限度」として正当化できるだろうか。

 それは、どう考えてもあり得ない。集団的自衛権とは、外国(領域)に対する武力攻撃を、自国(領域)が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する国際法上の資格である。「自国が直接攻撃されていない」場合なのだから、「自国への攻撃を除去するための」必要最小限度に含まれないのは論理的にあまりにも当然だろう。

 この点、本報告書は、集団的自衛権を「自国が直接攻撃されていない場合」の武力攻撃を正当化する資格と定義している(22頁)。そうすると、「必要最小限度」の範囲に集団的自衛権の行使が含まれる、という本報告書の記述(21頁)は、必要最小限度という法概念を全く理解していないことを露呈してしまっている。

 このように、本報告書は、初歩的な法概念の整理もできていない。安保法制懇談会では、法学的な議論がほとんどなされなかったのだろう。これもまた、「法的基盤の再構築」を目指す懇談会として、あまりに無責任な態度である。

(3)本当に「限定」しているのか?

 ところで、本報告書の内容は、集団的自衛権の「限定」容認論だと言われることがある。具体的には、集団的自衛権行使の範囲を「日本の安全に重大な影響を及ぼす可能性がある」場合に限定すべきという議論を展開している(22頁)。本報告書は、これにより歯止めがかかると考えているようである。

 しかし、「重大な影響」という要件は、個別的自衛権の「自国への急迫不正の侵害」要件と異なり、法概念として著しく曖昧である。この要件は限定としては機能しないだろう。

 例えば、2003年、アメリカ軍とイギリス軍は、共同でアフガニスタンを攻撃した。アメリカはこれを、911テロ以降続くアメリカへの「急迫不正の侵害」を除去するための個別的自衛権の行使だとして正当化した。これに対し、イギリス政府はそれを集団的自衛権によって正当化している。

 もし、本報告書のような解釈を前提にするならば、アメリカでのテロの危険を放置すれば、日本にもテロが広まる危険があり、日本にも「重大な影響」があるとして、日本も攻撃に参加していた可能性が十分にある。

 集団的自衛権行使容認の立場を採る国会議員でも、アフガニスタン攻撃のような武力攻撃には慎重な人が多い。だとすれば、本報告書の要件設定は、そのような事態への歯止めになりえないことに、十分注意する必要がある。

 さらに、本報告書が掲げる他の限定条件、すなわち、国会の承認や、第三国通過の場合の承認などは、あまりにも当然なすべき要件にすぎない。限定を課しているというよりは、最低限の条件に過ぎないのである。

 結局のところ、本報告書の実質は、集団的自衛権の「限定容認論」ではなく、「全面解禁論」である。それが、自衛のための「必要最小限度」に含まれるという議論は、合理的な判断をしようとする人には、理解不能な水準である。

(4)在外自国民の保護

 ところで、集団的自衛権の行使に関連して、しばしば、外国の領域内にいる自国民の保護の必要性が取り上げられるので、これについても検討しておこう。

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筆者

木村草太

木村草太(きむら・そうた) 首都大学東京教授(憲法学)

1980年生まれ。東京大学法学部卒業後、同大学助手、首都大学東京准教授を経て現職。専門は憲法学。著書に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)、『憲法の急所』(羽鳥書店)、『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)、『憲法の創造力』(NHK新書)、『テレビが伝えない憲法の話』(PHP新書)、最新刊に『集団的自衛権はなぜ違憲なのか』(晶文社)、共著に『未完の憲法』(潮出版社)、『憲法の条件――戦後70年から考える』(NHK出版新書)、『検証・安保法案――どこが憲法違反か』(有斐閣)など。趣味は音楽鑑賞と将棋観戦。棋譜並べの際には、菱湖書・竹風作の彫埋駒を使用。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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