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法の成り立ちから集団的自衛権を考える――日本はどう向き合うべきか?

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

 5月15日、安倍晋三首相は記者会見を行い、集団的自衛権の行使を検討することを表明した。日本国憲法9条に定めた「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という条文との整合性がとれないために歴代政権が行使を否定してきた問題に対して、憲法解釈を変えることを意図したものである。

 しかしながら、集団的自衛権の行使やそれに伴う憲法解釈の変更に対して、各種世論調査を見ても圧倒的な支持は得られていない。それぞれに質問や回答の内容が異なるため数値での言及は難しいものの、より慎重な対応を求める声の方が大きいことは確かであろう。

 換言すれば、この問題に関しては世論よりも安倍首相の意志が大きく影響しており、憲法の位置づけが変わりかねない事態ながら、国民的な議論が行われていないまま方針が示されたと見ることができる。

 そうした事態を見ていると、幾つかの疑問を感じざるを得ない。本来ならば、それらを総合すれば一冊の書籍ができる程の問題であるが、本稿では関連する主要な法の成り立ちを追い、日本がこの問題を通じて何に向き合わなければならないのかを指摘する。

 では、そもそも集団的自衛権とは何なのかという所から議論を始めたい。

 筒井若水ら編集の『国際法辞典』によれば「他の国家が武力攻撃を受けた場合、これと密接な関係にある国家が被攻撃国を援助し、共同してその防衛にあたる権利」と定義されている。1945年に発効した国際連合憲章の51条に「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と明文化されたことで、集団的自衛権はそれまでの国際慣習法的な位置づけから法的根拠を得るようになった。

 そうした背景もあり、第二次世界大戦以前、日本の侵略を受けた国々も将来的な濫用に対する懸念はあるものの、日本の権利行使に対して、それ程強硬に反対している訳ではない。なぜなら、それらの国々自身が集団的自衛権を行使してきた経緯があるためである。つまり、その点に関して言えば、各国はそれを日本の国内問題と捉えている。

 そうした状況下で日本国内の市民レベルでの言説を見ると、上記の集団的自衛権と集団的安全保障の二つの用語が混同されている場面がしばしば見られる。確かに、類似した用語であり、国際法に日常的に関心を払わなければ接することも限られたものであることから、先ずはそこを整理しておきたい。

 集団的安全保障とは、前掲書によれば「参加国内のいずれかの国家が行う侵略等に対し、他の参加国が協力してその侵略等に対抗することを約し、国家の安全を相互に集団的に保障しようとする安全保障の方式」とされている。

 1930年代に日本、ドイツ、イタリアの枢軸国が他国への侵攻をはじめた際に、他の国際連盟加盟国は自国に直接関係がないとして彼らの動向を黙認したため、結果的に第二次世界大戦の規模が拡大し、少なくとも5000万人を超える被害を生んだ反省から、この方式が生まれるに至った。

 たとえ他国で発生した事態であっても、国際社会が軍事的な制裁も含めて平和を乱そうとする国家の行動を規制することが目指されたのである。そして、いわゆる五大国と呼ばれる安全保障理事国が集団的安全保障体制を管理し、実効性を持たせることが意図された。

 しかし、国連憲章51条に集団的自衛権が明文化されたことにより、冷戦期に東西それぞれの軍事同盟がその権利を用いて地域紛争に介入する根拠とし、同条に記載されている「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」との集団的自衛権を行使できる時間的限定が有名無実化することとなったのである。

 その結果、国際的な安全保障に関わる問題の多くは、大国の利害が正面から衝突する安全保障理事会では解決が困難になり、安全保障理事国が拒否権を発動しても総会にて多数決で議決されるPKOなどの活動に徐々に重点が置かれるようになっていったのである。繰り返せば、集団的自衛権を公的に認めたことで、集団的安全保障の概念はその想定当初より形を変えてしまったのである。

 また、集団的安全保障と同じく実現が難しかったものの、国連憲章における第二次世界大戦への反省は他の条文にも見ることができる。今回の日本での集団的自衛権の議論との関連で挙げられるのが、国連憲章2条3項と4項である。

 3項:すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
 4項:すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

 平和的手段の重視や武力の行使を禁じた上記の条文を読んでみると、ある法文との連関に気づかされる。日本国憲法9条である。見方を変えれば、日本国憲法は国連憲章の抱えてしまった東西冷戦構造のような大国間の緊張を助長する解釈や条文を含まず、純粋に第二次世界大戦後、国際社会が求めた理想を具現化したものといえる。

 日本国憲法はしばしば「おしつけ」との批判を受けることもあるが、当時の状況を考えれば、日本の国内外に共通した大戦の惨禍を繰り返さないとの意志が現れたものと見る方が実態に近いといえよう。

 しかし、現在、日本はそうした理念や反省を堅持する立場をとるのか、現実世界の脅威に対抗する立場をとるのかという岐路に置かれている。確かに、国連憲章は集団的自衛権を認めており、それに伴う多国間の対立が頻発してきた歴史をたどれば、今回の安倍首相の表明は理解できる。

 ただし、行使の根拠となる法に対して原点に立ち返り、十分な国内的議論を尽くさなければ、かつての経験や犠牲は大きく意義を減じてしまう。

 そうした状況に対して、韓国人である筆者が伝えられるのは自国の経験である。

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筆者

金恵京

金恵京(きむ・へぎょん) 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

国際法学者。日本大学危機管理学部准教授、早稲田大学博士(国際関係学専攻)。1975年ソウル生まれ。幼い頃より日本への関心が強く、1996年に明治大学法学部入学。2000年に卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科修士課程に入学、博士後期課程で国際法によるテロリズム規制を研究。2005年、アメリカに渡り、ローファームMorrison & Foester勤務を経て、ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学東アジア学部客員教授を歴任。2012年より日本に戻り、明治大学法学部助教、日本大学総合科学研究所准教授を経て現在に至る。著書に、『テロ防止策の研究――国際法の現状及び将来への提言』(早稲田大学出版部、2011)、『涙と花札――韓流と日流のあいだで』(新潮社、2012)、『風に舞う一葉――身近な日韓友好のすすめ』(第三文明社、2015)、『柔らかな海峡――日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル、2015)、最新刊に『無差別テロ――国際社会はどう対処すればよいか』(岩波書店、2016)。

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