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 ジョシュア・オッペンハイマー監督との対話の中盤部分を掲載します。ここでは、加害者たちの「良心の呵責」について、容赦のないやりとりが行われています。

金平(以下SKと記す):あなたはアメリカ人です。アメリカ、日本、ヨーロッパの国々は、インドネシアにおける反共粛清を黙認していたようです。さらには、この虐殺をCIAが支援していた可能性があります。ひとりのアメリカ人として、このことをどのように見ていますか?

ジョシュア・オッペンハイマー(以下、JOと記す):不幸なことに、それは単なる黙認どころではありませんでした。私たちの政府は、むしろ熱狂的に、殺人マシーンを支援したのです。アメリカ、イギリス、オーストラリアの政府も、また、日本政府の役割について調べてみることも興味深いと思います。私はその分野の専門家ではありませんが……。

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 武器や資金を供給し、物資についても、軍が各島々のあいだで進行した殺害キャンペーンを調整できるように、たとえばラジオなどの支援をしたわけです。CIAやアメリカ大使館関係者は、殺害者リストも提供していました。このリストには、アメリカが殺害を望んでいた、左翼系ジャーナリストや知識人、芸術家、労働組合のリーダーなど何千人もの名前が記載されていました。

 このリストによって、インドネシア軍に対し、新政権の反対勢力になるであろう人物すべてを間違いなく殺害するようにとのシグナルを送ったのです。新政権を長期政権にするためです。

 2014年1月に『アクト・オブ・キリング』がアカデミー賞にノミネートされたことによるポジティブな波及効果のひとつですが、ワシントンDCにいる上下両院議員たちに映画を観てもらう機会がありました。彼らは強く感情を揺り動かされました。

 声明ないし少なくとも決議をしなくてはならないと言っていました。インドネシアで起こったことに対して、加害者たちが免責されていることを非難する前に、自国の免責の事実を認識をしなくてはならないと。自国が何をしたのか、明確にしなくてはいけない、どのように我々がこの犯罪を支援したのか、大虐殺以降ずっと今日まで、私たちは殺人者の政権を支援してきた、と。

 『アクト・オブ・キリング』がアメリカで公開された2013年の夏当時から、アメリカ政府は、インドネシアに対する軍事支援を倍増させました。これは中国に対抗するための軍事戦略です。同じような理由で日本がインドネシア政府を援助していても私は驚きません。

 しかし、現在、私たちがしていることが、どのような軍を作り上げているのかを認識しなければなりません。私たちが支援によって作りあげているインドネシア軍は、これらの武器を自国の市民に対して使用しているのだということを認識する必要があります。この地域で活動している信頼できるNGOは、「インドネシア政府に支援をするべきではない、彼らはその武器をインドネシア人を殺害するために使うのだから」と言っています。私たちは『アクト・オブ・キリング』で見られるような恐怖において我々がどのような役割を担っているのか認識するべきです。

SK:映画の中のシークエンスで、主人公が拷問シーンを再現するのですが、彼は自分の過去の行ないに対して後悔を表しているようにもみえました。あのシーンがこの映画の中で最も重要なシーンだと言う人もいれば、彼の後悔の表現を信じられないと言う人もいました。彼の行動を撮影のあいだ、ずーっとつぶさに見続けてきた監督としてうかがうのですが、彼は本当に過去の自分の行動に後悔の念を持ったと思いましたか?

JO:そこは面白い点ですね。今まで、日本で1週間いろんなインタビューに答えてきましたが、映画で主人公が最後に表すリアクションについて質問した記者は一人もいませんでした。あなたも、映画をみた他の人の意見を引きあいに出しながら聞いていますね。

 実は、アメリカの記者にはよくその質問を聞かれます。映画の最後のシーンで主人公がカタルシスを経験して、ハッピーエンドを経験するのをアメリカ人は期待しています。だから、映画で主人公が殺しが行われた場所に舞い戻り、そこでとても強い肉体的なリアクションを表すと、アメリカの観客たちは、それこそが彼が後悔していることだと思いがちです。しかし私自身はそれが後悔だとは思っていません。それは、自分の行動に対する「肉体的な拒絶反応」だと思っています。

 あのシーンは彼が過去を振り返り過ちに気づく、というのが重要な点ではありません。あれは大虐殺と嘘に埋もれた生活、大虐殺を賛美するといったことどもが、人間に一体どのような影響を及ぼすのかを証明するワンシーンだと思います。主人公はあのシーンでカタルシスなど経験していないと思います。カタルシスはギリシャ語の「解放する」という言葉からきています。彼は何からも解放されていません。彼は自分が犯した行動にむしろ破壊されているのです。

 あのシーンを、心を広げて素直に見て、彼と共感しようとすると、彼の反応、嘔吐しようとする行動が、どれだけ真実に満ちていて、役者には演じることの出来ない肉体的反応だということに気づくと思います。あれは役者には演じることの出来ない行動です。人間の真の反応だからです。

SK:大きな金魚のオブジェを使うシーンがありますね。ファンタジーのような幻想的な魔法のような雰囲気になりました。どうしてあのようなシーンを入れようと思ったのですか?

JO:あの大きな金魚は実物のセットです。1990年代後半のアジア経済危機の時に閉鎖してしまったシーフードレストランで実際に使われていたものです。私たちは、ペギー・リーの歌、「Is that All there is?」 というミュージカル・ナンバーを元にそれにふさわしい場所をロケハンしていました。

 この曲はアンワル(主人公)が好きな歌で、失望がテーマの曲です。アンワルの失望感、有力な政治家になれなかったこと、または何人かの友人がなれたような大金持ちのマフィアのボスになれなかった失望感を表現しています。車に乗って、ロケーションを探していたら、あの金魚のセットを見つけたんです。映画製作者として少しでも能力があれば、その瞬間、そう、山裾に4階建ての建物ぐらいの巨大な金魚がいた瞬間には、車を止めるでしょう。そうでなければその人は無能ですよ。

 私たちは車を止め、魚を眺めました。アンワルが、このがっかり感が歌にぴったりだよと言いました。昔は美しかったのに、今ではこわれかけている、だから使うべきだと。私自身も、これは完璧だと思いました。なぜなら、『アクト・オブ・キリング』という映画そのものを表現しているように思えたのです。つまり、人間のファンタジーの結末である現実世界に関する映画であり、自分自身に言い聞かせる人生やフィクションに関する映画であるという意味で。

 この魚は、人間のイマジネーションの産物で、そこに存在し、そして消えることはありません。私たちは、例の曲をかけながら、金魚のところで撮影し、編集したところ、突拍子もないシュールなものができあがりました。けれども、この音楽シーンを制作していくうちに、当初実際に編集したシーンよりももっとパワフルなシーンができあがったんです。それらのシーンは、信じられないくらい美しく、恐ろしいほどの瞬間となっていました。

 あの魚のシーンは、この映画の詩的な核心部分を体現していました。つまり、人類の破局の危機が増しているにもかかわらず、自分たち自身に物語を語り聞かせているうちに、自分たち自身が道に迷ってしまったかのような映画の象徴なんです。予定通りの曲を使っていたら、あの魔法のような瞬間をつくりあげた神秘性が台無しになっていたでしょう。ですから、当初の曲を取りやめて、それらの幻想的なシーンを映画のなかの各章の冒頭に使ったのです。それらは4カ所あって映画全体を章づけしています。

SK:私はあれらのシーンが大好きです。ヴェルナー・ヘルツォークのようなイメージですね。

JO:私にとっては、今まで撮影してきた中で、最も好きな中のひとつです。

SK:小さな村を襲うシーンでは、エキストラの女性や子どもたちが気を失ったり、泣き出したりしました。私にとっては衝撃でした。あのようなことが起こると予期されていましたか? ・・・続きを読む
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筆者

金平茂紀

金平茂紀(かねひら・しげのり) TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

TBS報道局記者・キャスター・ディレクター。1953年、北海道生まれ。東京大学文学部卒。1977年、TBSに入社、報道局社会部記者を経て、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長、コロンビア大学客員研究員などを経て、2010年より「報道特集」キャスター。2004年、ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『沖縄ワジワジー通信』(七つ森書館)、『ロシアより愛を込めて――モスクワ特派員滞在日誌 1991-1994』(筑摩書房)、『二十三時的――NEWS23 diary 2000-2002』(スイッチ・パブリッシング)など。共著に『テレビはなぜおかしくなったのか<原発・慰安婦・生活保護・尖閣問題〉報道をめぐって>』(高文研)、『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』(角川書店)など多数。

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