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 珍島(チンド)沖の旅客船沈没事故から15日、韓国は全土が追悼ムードになっている。フェスティバルやイベント類はすべてキャンセル。運動会や文化祭など、学校内の行事も中止や延期にしたところが多い。現地では救助活動が続けられており、ニュースは毎日その関連一色なのだが、韓国の人々はもうあまりテレビを見なくなっている。

沈没寸前のセウォル号から救出され、別の船に乗り移る乗客。現場に真っ先に到着した警備艇の救助隊員が携帯電話で撮影した映像の一場面=提供・韓国海洋警察庁拡大沈没寸前のセウォル号から救出され、別の船に乗り移る乗客。現場に真っ先に到着した警備艇の救助隊員が携帯電話で撮影した映像の一場面=提供・韓国海洋警察庁
 人々は当初、1995年に起きた「三豊百貨店倒壊事故」のことを思い出していた。死者502名・負傷者937名という未曽有の事故にもかかわらず、あの時は発生後2週間を過ぎても、瓦礫の下から生存者が発見され続けた。

 今回もエアポケットの中から、ずぶぬれの高校生たちが泣きながら出て来るのではないか。人々はそれを待っていた。それを見れば、少しは癒されるだろうと思った。

 ところが日々の報道はその望みも叶えてくれず、逆に人々を打ちのめすような内容ばかりだ。あり得ないほどのルール違反を犯していた船舶会社、海洋警察の初動救助での致命的失敗、軍や政府の無能ぶり……。

船長と船員はどういう人たちなのか?

 中でもショックだったのは、4月28日に一部が公開された、亡くなった高校生のスマホにあった動画だ。脱出しようとする生徒たちを、「その場から絶対に動かずに待機してください」という船内放送が何度も何度も引き止める。動画は16分、それだけあれば、ライフジャケットを着て甲板に出られたはずだ。

 船長や船員がきちんと避難誘導していれば、生徒たちの多くは助かったのではないか。その後の救助態勢もひどいが、やはり、一番問題にされるべきは、船長以下船員たちの行動である。

 船長が最初の段階で救出されたことは、韓国はもとより海外でも「大ニュース」として報道された。「船長は船と運命を共にするんじゃないのか」。ネット上には船長を非難する書き込みがあふれ、主要新聞の社説も船長非難一色となった。

 救出された船長の姿は、30年ほど前に「逆噴射」で羽田沖に突っ込んだ日航機の機長を彷彿とさせ、ひょっとしたらこの船長には精神疾患があるのかもしれないとも思った。ところが、この船長は収容された病院のベッドでお札を乾かしていたという。あまりにも「普通の人」。68歳の初老の男性が、ポケットから濡れたお札を出して乾かしている姿を想像した。この人は、おそらく皆がイメージするような「誇りある船長」ではないのだ。

非正規雇用・低賃金だから仕方ない?

 当初から68歳という年齢が気になっていた。少なくとも正社員ではないだろう。案の定、彼は非正規雇用で月給270万(約27万円)ウォン(w)。その他の航海士、機関長らも170~200万w(17万~20万円)と低賃金で、15名の乗組員のうち正社員は6名だけだった。

 朝鮮日報の記事によれば、「通常、仁川―済州を運行する旅客船船長の月給は400~500万w」「海洋大出身のエリートたちは年棒1億wを超える外国船航路を希望する」という。つまり、優秀な人材は別の会社に行ってしまい、この船舶会社は定年を過ぎたような船長に頼るしかなかった。

 船長らの賃金が公表されたあと、韓国の人々の中には同情の声も出てきた。「老後の趣味生活のつもりだったでしょうね」と、知り合いの韓国女性(20代後半)は悲しそうにつぶやいた。

 それでも、日本だったらもっとプライドを持って仕事をする、と、私は思った。プロとはそういうものだと、日本人の多くは思っている。でも、他の国の人の考え方は様々だ。

 ところで、4月29日の朝、さらにショッキングなニュースを聞いた。船長と同じく早い段階で救助された一等航海士と操機長は、なんと出航の前日に入社したばかりの「新人」だったというのだ。会社側は「うちの会社では新人でも、それぞれキャリアはあった。人手が足りないが、船は出すしかない状況で仕方がなかった」と取材に答えている。KBSの報道によれば逮捕された船員15名中8名の勤務実績は6か月未満だったという。

流動性の高い韓国社会、二極化する労働市場

 仕事に対するプライドはプロフェッショナルの条件だろうが、すべての働く人がそれをもてるわけはない。そこまではなくても、会社や同僚への愛情があれば、それもまた仕事に対する責任感を補完する。でも、人手が足りないからと、入社翌日にいきなり重要な任務を任された人に、会社や同僚への愛情を望めるだろうか?

 韓国社会は日本に比べると、非常に流動性が高い。大手企業には容赦ないリストラがあるし、零細や中小は企業の存続そのものが常に脅かされている。加えて、上昇志向の高い国民は、常に上を目指す。米国型とは言い切れないが、キャリアアップのために転職を繰り返す人は多く、その結果、働く人々の間では二極化が加速する。

 事故を起こした船舶会社に限らず、韓国で非正規雇用の賃金はとても安い。その人たちに「責任感」を求めるのは無理だと、街の食堂レベルでも思う。重い炭火を運び、大量の洗い物を片付ける女性たちの時給は5000w(500円)。

 日本人観光客の中には彼女たちの態度が悪いと不満を言う人も少なくないが、一生懸命やってもやらなくても時給は同じ、出世できるわけでもない。モチベーションは上がらない。オーナーの側もまた、家賃、燃料、材料、さらに子供たちの教育費など出費がかさむ一方なので、つい削りやすい人件費から手を付ける。最近はさらに賃金の安い中国人を使う人も増えた。

韓国人は本当の問題に気づいていない

 労働市場のグローバル化による賃金の下方圧力は韓国だけの問題ではない。しかし国内市場規模が狭く、圧縮型の経済発展を続けてきた韓国では問題の進行も早い。格差が顕在化すればするほど、持ち前の「大らかさ」は「無責任さ」になり、やがて「オーナーへの反感」と悪化していく。

 労働組合があるような大企業なら、「オーナーへの反感」にも「正規の方法」がとられるが、非正規雇用の労働者の多くは労組もなく、犠牲となるのは顧客だ。不親切な接客は我慢すればいいが、手抜き工事は生命に危険が及ぶことがある。

 だから、どうすればいいのか。

 韓国人がこういう問題に気づいていないわけではない。知っていたからこそ、今回の船長の件でも、彼に一切の弁明の余地を与えず、そのモラルのなさを罵った。そのうえで、非正規雇用者の実態や親会社の悪徳ぶりもすぐに問題にできた。でも、実はそれだけではない。韓国人は大切なことに気づいていないような気がする。(つづく)

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筆者

伊東順子

伊東順子(いとう・じゅんこ) フリーライター・翻訳業

愛知県豊橋市生まれ。1990年に渡韓。著書に『韓国カルチャー──隣人の素顔と現在』(集英社新書)、『韓国 現地からの報告──セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)など、訳書に『搾取都市、ソウル──韓国最底辺住宅街の人びと』(イ・ヘミ著、筑摩書房)。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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