2014年05月13日
珍島沖の旅客船沈没事故から3週間、日本のゴールデンウイークと同じタイミングで、韓国も「子供の日」や「釈迦誕生日」などの祝日が続き4連休となった。楽しみにしていた連休だったけれど、旅客船事故に地下鉄事故まで重なり、多くの人々が予定していた行楽をキャンセルした。「今回は遠出をせずに、家族とゆっくり過ごしたい」。
あらためて家族の大切さを確認し、家族を失った人々を思いやる。違和感があちこちで風景をゆがめる。震災後の日本もそうだったとふりかえる。いや、今もそうかもしれない。
連休の間、ソウル市庁前広場に設置された追悼の場は、子供連れも多く訪れていた。外国人の姿もあった。ボランティアの青年は訪れた人々を前に簡単に事故の現状を語り、まだ希望を捨てていないと言った。言いながら泣いた。聞いている人々も泣いていた。
その日、JTBCのニュース番組では、哲学科の大学教授と女性弁護士が事件について討論をしていた。大学教授が「今、韓国に必要なのは再発防止のためのシステム」と語ると、女性弁護士はそれを制止しながらきっぱりと言った。
「いいえ、愛です。船長や船員や救助の人たちに、子供たちへの十分な愛があったら、あんなことにならなかった」
愛が足りない? 愛も哀しみも嘆きも韓国中にあふれている。足りないのは愛なんかじゃない。
今回の旅客船事故は直後から、「まさに韓国的な事故」と言われてきた。朝鮮日報、東亜日報、中央日報、ハンギョレ新聞など韓国の主要新聞は政治的立ち位置に関係なく同じ論調だったし、私の周りの韓国人や在韓日本人もほとんどが「今回の事故で韓国の悪いところがすべて出た。まさに韓国的な事故だ」という言い方をしていた。
日本での報道もそれに近いものがあったのだろう。国際機関で長く途上国援助の仕事をしている友人はSNS上で、「それは韓国に限ったことではない」という意見を繰り返していた。
直接的な事故原因はいまだ特定されていないが、事故は規模のわりに人的被害が多いという点で、まさに「途上国型事故」だった。欧米系の投資証券に勤める友人は金融危機の頃、IMFの韓国担当者に「韓国は遅れた先進国なのか、進んだ開発途上国なのか」聞いたという。担当官は「進んだ開発途上国」と答え、その理由として「都市と農村の格差」をあげたという。
あれから15年、サムスンという世界企業や韓流というきらびやかな外観をもつ韓国だが、都市の農村の格差は縮まらない。そして、再度「先進国ではありえない事故」(『朝鮮日報』)を起こしてしまった。事故がきっかけで明らかになったマニュアル無視、安全軽視、さらに企業と政界の癒着などは、19年前のデパート倒壊事故の時と全く同じで、その変わらなさは人びとをゾッとさせた。
今回の事故にあたり「韓国的」と批判されたことの多くは、韓国人や日本人が思うほど、オリジナリティーにあふれたものはないのかもしれない。飛行機事故が未解決のマレーシアからやってきた女性は「クアラルンプールでも同じよ」と言っていた。
「事故が起きたら救急車よりもタクシーを呼ぶのよ。救急車なんてまったく信用できない」
事故の背景として「韓国文化」を語る人は多いが、仮にその文化がきわめて個性的だったとしても、問題となるのはそれを管理するシステムである。
韓国人の友人が言っていた。
「日本では紫雲丸事故がきっかけで様々な基準が強化されたと聞きました。韓国にもそういう具体的なプランが必要だと思います」
恥ずかしながら、私はこの友人に言われるまで、紫雲丸事故のことを知らなかった。紫雲丸は1955年に瀬戸内海で衝突事故を起こし、修学旅行の小学生など168名の乗客が犠牲になった。事故後に全国の小中学校にプールが作られ、体育の授業に水泳が取り入れられたという。
日本で今回の事故を「韓国的」と語る人の中には、日ごろから韓国や韓国人に批判的な人も多い。そういう人が
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