伊東順子(いとう・じゅんこ) フリーライター・翻訳業
愛知県豊橋市生まれ。1990年に渡韓。著書に『韓国カルチャー──隣人の素顔と現在』(集英社新書)、『韓国 現地からの報告──セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)など、訳書に『搾取都市、ソウル──韓国最底辺住宅街の人びと』(イ・ヘミ著、筑摩書房)。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
先日、知り合って20年以上になる古い友人に会った。韓国のパフォーミングアーティストの第一世代、80年代から政治的運動とは別の場所で「大韓民国の既存体制」と戦ってきた闘士だ。
「日本の友達に会うと励まされる。ああ、こんな生き方もありなんだと」
そんな彼の世話になった日本人も多い。日韓関係がどれだけ悪化しようと、「外国での経験は大事だから」と、若い日本人アーティストの韓国公演を応援してきた。久しぶりの再会だったのだが挨拶もそこそこに彼はいきなりセウォル号の話を始めた。
「あきれた国だね、わが大韓民国は。高校生が可哀想で、しばらく食事の味もわからなかった。でも、気がついたら、反政府デモが起こり、テレビ局はストライキ、オーナーは信者に守られて潜伏中。あー、また、これなのかって」
彼は「韓国人の俺があきれているんだから……」と言って、言葉を止めた。続きは「外国人には理解できない」だろうか。
今回の件で、あらためて韓国が「別の国」だとわかったという日本人も少なくない。最新のスマホ、贅沢なマンション、おしゃれなカフェ、そんな華やかな外観からは想像できない韓国の闇の深さ。「過去の日本もそうだった」という人も、「日本の将来を暗示している」という人もいる。日本人もまた、自分たちがどこに向かっているのか、不安の渦中にいるようだ。
日本人にとって、さらに理解しにくいこともある。
「涙も希望も枯れ果てた…‘移民する’という行方不明者家族」(4月24日付『国際新聞』)
「セウォル号惨事、ムン・ジェインに会った母親‘すぐにでも移民する’と慟哭」(5月3日付、CBS)
ムン・ジェインとはパク・クネ大統領に敗れた野党の元大統領候補である。珍島現地を訪問した彼に、行方不明の子供を待つ母親は泣きながら語ったという。
「先に米国に移民した友人がこっちに来いという。子供たちを守ってやれないような国にいる必要はないと」
「移民」という言葉だけじゃない。事故から1週間後のハンギョレ新聞にはこんな大見出しが出ていた。
「姉さん、兄さん、もう二度とこんな国に生まれないでください」
記事に添えられた写真にはセウォル号で亡くなった高校生たちの遺影、その前に下級生が一列に並んで手を合わせている。見出しは下級生が書いた追悼の言葉だという。
韓国人といえば愛国心が強いイメージがある。なのに「移民」とか「この国に生まれてくるな」とか。いったいどうなっているのだろう?
そんな空気を読み取ってか、5月28日にオーマイ・ニュースという市民派のメディアが開いた緊急討論会の冒頭で、希望製作所のイ・ジンス副所長はこう呼びかけていた。
「みなさん、セウォル号事故後に‘移民する’とよく言っていますね。冗談でもそれは言わないでください。ここにいなければなりません。移民しないと約束してください」
日本人にとって
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