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ワールドカップに見るナショナリズムの形

金恵京 日本大学危機管理学部准教授(国際法)

 現地時間の6月12日、2014FIFAワールドカップ・ブラジル大会(以後、ワールドカップ)が開幕した。スポーツにそれほど関心が無い人でも、ブラジルが「サッカー王国」と呼ばれることは知っている。サッカーの本場において、世界で最も大きなスポーツ・イベントが行われるという印象がある。

W杯開幕を前に盛り上がるブラジルのサポーターら=12日午前9時27分、ブラジル・サンパウロW杯で盛り上がるブラジルのサポーター=2014年6月12日、ブラジル・サンパウロ
 確かに、開会直前までスタジアムのような箱物ではなく、医療をはじめとする社会保障等に資金を投入すべきとしてデモに参加する人々のニュースも伝えられていたが、開会式以降の地元スタジアムの熱気は、良し悪しは別として、そうした出来事を忘れさせてしまう。

 12年前の日韓ワールドカップを知るものからすれば、サッカーが国技とも言われるブラジルでの熱気はどれほどのものなのだろうかと思う。 

 そうした状況をはじめ、日本はもとより世界中でワールドカップに対する注目は高まっている。かつて韓国では、男性が女性と話す時に盛り上がらない話題として、徴兵時のエピソードとサッカーの話が挙げられていた。

 確かに、今でも通常の国内外のリーグ戦には大半の女性の反応は鈍いものの、2002年の日韓ワールドカップを境に国の代表の試合となると女性も高い関心を持つようになった。

 その背景には、ベスト4に入って国中が熱狂したあの感覚がある。ワールドカップと聞くと気持ちが高揚するし、国内外にいる友人が様々なツールで情報を伝え合うことは珍しくない。

 そうした典型的な韓国人女性である私はいわゆる「にわかファン」ゆえ、勝敗予想や戦術などの話題は、残念ながらよく分からない。ただ、普段そうした熱の中に身を置いていないため、冷静に現状を俯瞰し、他の事例と比較することができるように思う。特に、ナショナリズムとサッカーの関係について考えてみることとする。

 以前も、このWEBRONZAで、韓国のサッカー場での横断幕の経緯を追った「希望を忘れた関係に未来はない――韓国人サポーターの横断幕に思う」との文章を書いたことがある。また、今年3月にはJリーグの試合会場で「JAPANESE ONLY」との横断幕が掲げられたことも大きな話題になった。サッカーをはじめスポーツの場ではしばしばこうした歪んだ意思表示がなされることがある。特に、そうした感情の発露は近隣諸国に対して向けられる場合が多い。

 近年の日韓関係の悪化に伴う嫌韓や反日の言説にも同様のことがいえるが、それらは偏狭なナショナリズムとして語られていることが多い。つまり、相手を非難することで自らの正当性を主張するような指摘である。

 そうした見方を受けて、私はナショナリズムというものに、二つの傾向があるように思う。

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