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公明党の変節――個別的自衛権拡大、集団的自衛権容認、集団安保への布石へ

 事態は、前稿執筆後に急展開した。自民党は、集団安全保障における武力行使を閣議決定で明記するという驚くべき新提案を唐突に出していたが、公明党の反発を受けて、わずか3日で撤回した(6月23日)。さらに、前稿で述べた「おそれがある」という文言について、公明党の要求に応じて「明白な危険がある」に修正し、公明党は納得して大筋合意した(6月25日)と伝えられている。

 このまま閣議決定がなされれば、戦後日本史における歴史的な大事件となる。平和憲法の精神を尊ぶ観点からすれば、事実上、平和憲法はここに終焉を迎えるも同然だからである。

 憲法そのものの文章はまだ変わっていなくとも、その平和主義の内容はもはや失われてしまう。もはや事実上はその生命を失い、あとは生ける屍となりかねないのである。

 私は、参院選後に、公明党が平和憲法の命運を握っていると指摘した(「公明党が握る平和憲法の命運」2013/07/25)。まだ明文憲法そのものは残っても、まもなく、閣議決定によって平和憲法は事実上の死に体になってしまうかもしれない。以下ではなぜそう言えるかを確認してみよう。

個別的自衛権の拡大

 自民党・高村副総裁は与党協議で、閣議決定案の根幹となっている高村私案における、「武力行使の新3要件」を修正して示した(以下、「高村修正私案」)。

■武力行使の「新3要件」
憲法第9条の下において認められる「武力の行使」については、
(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
という三要件に該当する場合の自衛の措置としての「武力の行使」に限られると解する。
太字は、今回変えた文言

 その冒頭は、やはり「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は……」となっている。これは個別的自衛権発動の場合を意味する。

 これまでの公定解釈では、このような個別的自衛権発動の場合は「急迫不正の侵害」がある時にのみ許されていた。そもそも、「急迫不正の侵害」は、20世紀初めまでの国際慣習法で(個別的)自衛権の要件とされていたものであり、国連憲章ではさらに武力攻撃の発生が要件となって厳格になった。ところが、今回の高村修正私案における新3要件案では、従来の公定解釈に比して「急迫不正の侵害」という文言が削除されており、全くない。

 日本に対する武力攻撃の発生が、公定解釈にいう「急迫不正の侵害」と同じなら、個別的自衛権行使の要件に変更はない。しかし、従来の3要件にはあった文言をはずすのだから、やはり個別的自衛権の要件を緩和するという疑いはありうるだろう。

 つまり、「急迫不正の侵害」ではない「武力攻撃」が発生した時も、日本は個別的自衛権を発動して武力行使を行うことができるようになりうるのである。

 さらにこの文章でも、前回論じたように、文章としては不自然ながら、読み方によっては、日本に対する武力攻撃が発生した個別的自衛権の場合でも、「……明白な危険がある」時に、日本が武力行使できると解釈することも不可能ではない。

 このような解釈に立てば、実際に個別的自衛権行使の要件が、「明白な危険がある」時に拡大されかねないから、これまでよりも遙かに広く個別的自衛権行使が可能になってしまうわけである。この点は、さらに第2要件の解釈とも関連するが、次の項目で論じよう。

 さらに、高村修正私案では、「憲法第9条の下において認められる『武力の行使』については」として新3要件を示し、「……という三要件に該当する場合の自衛の措置としての『武力の行使』に限られると解する」と締めくくられている。ここでは、「自衛の措置」という言葉が使われている。ここで集団的自衛権という言葉が明確に用いられていないのは、公明党への配慮であるという。

 しかし、逆に言えば、「自衛の措置」としてしか書かれていないので、この私案では、集団的自衛権のみならず、個別的自衛権も含めて、自衛権行使について一括して新しい政府解釈を示したということになる。そうなれば、個別的自衛権行使については従来の公定解釈を維持しつつ集団的自衛権行使を新しく容認したというのではなく、上記のように、集団的自衛権行使の容認に伴って、個別的自衛権行使についてもその許される範囲を拡大した、ということになりかねないのである。

集団的自衛権行使のほぼ全面的な容認

 そして、この新3要件の最大のポイントは、もちろん、集団的自衛権行使を可能にするところである。

 第1要件につき、原案の「他国に対する武力攻撃が発生し」を「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃……」と改めたことを公明党は評価したというが、「密接な関係にある他国に対する武力攻撃」というのはまさしく集団的自衛権の通常の定義そのものに他ならない。集団的自衛権とは、主として同盟関係などにある友好国の救援について言われているものだからである。

 また、前述のように「おそれがある」を「明白な危険がある」に変更したことについても、公明党(北側一雄副代表)は自分たちの意見が取り入れられたと評価した、という。しかし、「おそれ」も「明白な危険」も、結局は主観的な観念だから、実際には、これではほとんど変化はなく、原案を限定したことにはならないだろう。

 もし、安倍首相が記者会見でパネルで示したような、朝鮮半島有事の米艦防護のような事例にのみ集団的自衛権行使を限定的に容認するというのなら、ここはやはり(国民の権利に対する)「急迫不正の侵害(事態)」ないしそれに準じた要件が必要となるだろう。

 すでにこの問題はこの新3要件の解釈で明確になっている。公明党は、この文言の変更によって日本周辺の有事に限定して集団的自衛権行使を認めることになると解釈しているらしいが、自民党側はこれで中東のホルムズ海峡の機雷除去が可能になると解釈しているという。

 このように、この新3要件では、中東であれ、地球の裏側であれ、他国にとっての武力攻撃が日本にとって「明白な危険」があると判断されれば、どこでも集団的自衛権行使が可能になるわけである。これでは集団的自衛権行使に制限はないも同然である。

 つまり、この高村修正私案は、集団的自衛権行使の限定的容認案ではなく、実質的にはほとんど全面的な行使容認の案なのである。

 さらに、メディアはほとんど報じていないが、第2要件にも注目する必要がある。従来の公定解釈における第2要件は、「これを排除するために他の適当な手段がないこと」であり、「これ」は第1要件における「武力攻撃」の発生を指す。つまり、武力攻撃を排除するための自衛権行使であることが明示されていた。

 これに対し、新第2要件は、「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」となっている。この直前の第1要件の末尾は例の「……明白な危険があること」である。そこで問題となるのは、この第2要件冒頭の「これ」は、従来のように「武力攻撃」を指すのか、それともこの「明白な危険」を指すのか、ということである。

 日本文としては、「武力攻撃」ではなく、直前の「明白な危険」を指すという解釈の方が、自然である。そうなると、大きな問題が現れる。 ・・・ログインして読む
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筆者

小林正弥

小林正弥(こばやし・まさや) 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

1963年生まれ。東京大学法学部卒業。2006年より千葉大学大学院人文社会科学研究科教授。千葉大学公共研究センター共同代表(公共哲学センター長、地球環境福祉研究センター長)。専門は、政治哲学、公共哲学、比較政治。マイケル・サンデル教授と交流が深く、「ハーバード白熱教室」では解説も務める。著書に『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう(文春新書)、『サンデル教授の対話術』(サンデル氏と共著、NHK出版)、『サンデルの政治哲学 〈正義〉とは何か』(平凡社新書)、『友愛革命は可能か――公共哲学から考える』(平凡社新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『神社と政治』(角川新書)など多数。共訳書に『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』(ハヤカワ文庫)など。

 

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