2014年07月11日
セウォル号事故の数日後、韓国海軍のことが知りたくて、そちら方面に詳しい50代の男性に話を聞いた。
「日本では船長が逃げ出したことが話題です。海の男の誇りはないのかと」
「韓国は日本とは全然違いますよ。軍の中でもエリートは陸軍で、海軍は昔から冷や飯なんです」
彼は韓国人だがいわゆる軍事(模型)マニアで、その話になるとニュートラルになる。日本海軍の美意識や、その手本となった英国海軍の歴史、さらに欧州各国軍の比較などを目をキラキラさせながら語ってくれた。
が、話が軍艦の性質など微に入り細に入ってきたので、そろそろお暇しようかなと思ったら、それを察したのか、「ところで話は変わるんですが……」と声のトーンを変えた。
「日本では最近、ヘイトスピーチというのがありますね?」
不意打ちをくらった感はあったが、こちらの聞きたいことだけ聞くわけにもいかず、上げかけた腰を再び椅子に戻した。
「実は父がまた日本に行きたいと言っているのですが、最近は韓国人排斥運動がひどいようで心配しています」
彼の父親は80代半ば、植民地時代に日本の小中学校に通った世代だ。解放後も日本語を忘れないように読書などを続け、中でも夏目漱石のたいそうなファンだという。
ならば『ぼっちゃん』の舞台である四国松山の旅行はどうかと薦めたのは他でもない私で、2年ほど前に家族みんなで行ってきた。その時に立ち寄った正岡子規の記念館が印象的でぜひまた訪れたいと言っているらしい。
「日本を大好きな父があんなデモに遭遇したら、とてもショックをうけると思うのです。松山にもヘイトスピーチはあるのでしょうか?」
この話をしながら、彼は「ジェトッケ」という言葉を何度も繰り返した。
ジェトッケとは「在特会」(在日特権を許さない市民の会)の韓国語読み。2007年に結成された「在特会」だが、韓国の公共の電波で「極右の嫌韓団体」として語られるようになったのは、わりと最近のことだ。私自身も、メディア関係者ではなく一般人の口からこの団体名を聞いたのは、この時が初めてだった。
韓国のメディアで最初に「在特会」が大きく報道されたのは、2009年の「京都朝鮮学校公園占用抗議事件」の時だ。
ただ、この時はニュース報道のみでそれほど話題にはならなかった。
その後、ドキュメンタリーや報道番組などでも取り上げられたが、一般の人々が話題にするほどにはならなかった。だから2012年に彼の父親が松山旅行をした時も、ヘイトスピーチの話など一切出なかったのだ。
それが今では、放射能汚染問題とともにヘイトスピーチは、韓国人が日本旅行をためらう理由の一つにもなってしまった。
例えば、インターネットのポータルサイトにも、こんな質問が上がっている。
「1月に日本に留学予定ですが、嫌韓、在特会のことが心配です。実際のところはどうなんでしょう? 現在の在特会の規模、一般市民の嫌韓パーセント、反在特会デモの規模が知りたいです」(2014年7月8日)
「地域によってばらつきはありますが、普通に生活していれば遭遇することはほとんどないでしょう。東京の新大久保や関西の鶴橋でデモはあるようですが、警察もいるし、`仲良くしようぜ‘と声を上げているカウンターもいます。勉強に支障がでるほどではないので、そんなに心配しなくても大丈夫です」
私自身もお父さんの日本旅行を心配する彼に、「松山ではそんなデモに遭遇することはないと思います。地方の人々は親切なので、お父様も楽しく旅行ができると思います」と、少し迷った末に答えた。
彼はそれに「安心した」という代わりに、「日本はどうしてこうなってしまったのか」という話を今まで一度も聞いたことのないような語気で始めた。
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