2014年08月01日
(承前) それでも今は、多くの人びとが、集団的自衛権行使は自衛隊が海外に派遣されて戦争に関わる危険を意味するとしても、自分や家族には関係ないと思っているだろう。だからこそ、たとえば経済再生のために安倍政権を支持し続けているのかもしれない。徴兵制が導入されない限り、これはあくまでも他人事であり、自分たちの身に危険が及ぶわけではないと思っているわけである。
そのような人びとが、徴兵制導入には全く可能性がないとは言えないということを知って当事者意識を持ち、集団的自衛権問題や憲法の平和主義に関心を持ち始めるのは、民主主義の観点からすれば有意義なことである。
政治的・公共的な関心を多くの人びとが持って考えることこそが、民主主義の質的発展につながるからである。それは、危機に瀕している立憲主義や民主主義を救うかもしれない。だから、徴兵制をめぐる議論は、今の日本にとって重要である。
ただ哲学的・倫理的には、徴兵制は、現在の自衛隊のような志願制よりも悪いというわけでは必ずしもない。
多くの人びとは、志願制では志願者の自由意思に基づいて軍隊に入るのだから、この方が徴兵制よりも倫理的に望ましいと考えるだろう。しかし、現実には、たとえばアメリカでは貧困層の若者が生きていくために軍隊に入隊する場合が少なくない。
裕福な家庭の子弟は通常の職業ないしビジネスに就くことが多いのに対し、有色人種などの若者には就職口がないので軍隊を志願する人が多いし、軍隊も入隊者を確保するために経済的メリットを強調して募集を行うのである。
この結果、戦争において死ぬ若者は貧困層に多いということになる。これは、徴兵制に比べて不公正ではないだろうか?
徴兵制なら、出身階層や経済的状況に関係なく、全ての若者が同じ確率で徴兵されて、戦争で死ぬ可能性が存在する。これに対し、志願制の場合は、自分の自由意思で志願するとはいっても、貧しい家庭の若者の方が、実際には経済的困窮のために志願する方向に圧力がかかり、その結果、戦争で死ぬ可能性が高いわけである。
これを「経済的徴兵制」と呼んで批判する人もいる。だから、志願制よりも徴兵制の方が公正であって、原理的には全ての人が国防という公共的責務を担うことになるから倫理的に優れている、という議論もありうるのである。これは、思想的には共和主義的な観点からの議論である。
アメリカでは徴兵制が行われていたので、これは決して抽象的な問題ではない。今後の状況次第では、再び徴兵制に戻る可能性も論理的にはありうるからである。
そもそも、ジョン・ロックのような社会契約論では、個人は「生命、自由、財産」に対して不可譲の権利を持っているから、人びとはそれらを守るために同意によって政府を設立する。このような考え方が、日本も含め近代憲法の論理的基礎となっている。
ところが、徴兵制では、政府が強制的に人びとを戦争に行かせるわけだから、それは基本的人権の侵害だ、という徴兵制反対論がある。それに対して、議会で徴兵制を決めれば、それは同意によって設立された政府の正当な権限だから人びとは従わなければならない、という考え方もある。
そこで、サンデルは、イラク戦争でアメリカが兵士の確保に苦労していることを挙げ、「(1)給与や手当の増加、(2)徴兵制導入、(3)アウトソーシング(外部委託)による傭兵雇用」という3つの政策について学生の意見を聞いた。これに対しては、
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