津上俊哉(つがみ・としや)/現代中国研究家
2014年08月13日
中国で習近平政権が誕生してから、四つの大きな変化が起きた。大胆な「三中全会改革」、習近平への権力集中、厳しい反腐敗闘争、そして、より厳しい言論・思想統制だ。すべての変化は一つの原因に起因している。胡錦濤政権の10年間に起きた統治の劣化が経済、政治、社会に深刻な問題を生みつつあり、中国共産党を脅かしている、ということだ。
いま中国では、これらの「問題を引き起こした」胡錦濤・前主席、とくに温家宝・前首相を罵倒する声が絶えないが、誰が指導者をやっても大差ない結果だっただろう。この10年間に起きた深刻な退行の根底には、中国の経済・社会の10年単位の大きな蛇行があったからだ。
この時期、市場経済体制への移行を進めるさなかに財政窮乏と成長鈍化に直面した中国共産党は、捨て身の改革を実行した。マルクス主義と国粋主義に固執する保守派の抵抗を抑えこんで世界貿易機関(WTO)加盟を果たし、「民進国退」改革(経済民営化)を進めたのである。その叡智(えいち)と勇気は称賛に値したし、その後の飛躍的な経済成長という配当で報いられた。
しかし、この改革は、中国共産党の伝統的な政治重心から大きく「右」に外れていた。2000年代半ば、飛躍的な成長で体制が危機を脱し、政府と国有経済の懐に富が流れ込むと、元の重心に戻ろうとする左旋回が始まり、耐乏を強いられてきた体制内の既得権益層も膨張を始めた。
また、ほんとうは、経済が成長し、社会が新しい発展段階に移行したこの時期に、統治体制もアップデートする必要があった。巨大化、高度化、複雑化した経済社会は、分権しなければ統治できないし、分散された権限は、その場その場で監督を受けなければならない。「西側流の三権分立」でないにしても、立法機関や司法機関による各級政府の監督を強化し、ようやく育ってきた公民による社会的監督も強化されるべきだった。しかし、天安門事件(1989年)で政治体制改革を封印した結果、中国共産党が全ての権力を掌握し、「上から下へ」の単線的な監督の仕組みしかない時代遅れな統治体制がアップデートされることはなかった。
2000年代前半、改革の退行が始まったことに対して、改革派は警鐘を鳴らしたが、2008年に襲ったリーマンショックがその声をかき消してしまった。「4兆元投資」に始まった投資拡大と野放図な金融緩和は、中国の負債と資産(投資)を急激に膨張させた。この投資バブルにより、いっときの間、成長率は大きく嵩(かさ)上げされ、世界で独り中国経済だけが劇的に回復し、低迷を続ける西側経済と明暗が分かれた。
その対照が中国と中国人を「西側の没落・大国中国の復活」という陶酔感に陥れ、傲慢(ごうまん)にした。中国の対外姿勢は一挙に攻撃的になった。また、その過程で、信じられない規模の汚職が行われ、その前の10年に産み出された配当を浪費し、私物化してしまった。時代遅れな統治体制は、その滔々(とうとう)たる流れを防ぐことができなかった。引退した二人の元指導者は、この大きなうねりに翻弄(ほんろう)される木の葉のような存在だった。
いま、壮大な浪費パーティーは終わり、過去10年間の放縦のツケが中国を襲っている。中国経済の潜在成長率はいまでも5%前後あるだろうが、それは今後も5%前後の成長を続けられることを意味しない。中国経済のバランスシートは、過去5年間に2倍以上に膨れ上がった。しかし、積み上がった資産(投資)は低収益で、負債を償還できそうもないものが多い。その結果、バランスシートに毀損(きそん)が広がっている。
このような時期には、投資と負債借り入れが自然に低下する――市場経済にはそういう安定装置が組み込まれている。反動により有効需要不足に陥り、成長はいっとき大幅に低下してしまうが、バランスシートが破綻してしまわないためには必要な過程なのである。しかし、中国共産党は「成長低下が統治を揺るがせる」ことを恐れて、バランスシートの毀損に歯止めをかけられずに苦しんでいる。
中国経済が直面する問題は、投資バブルの後遺症に留まらない。少子化に直面している中国が今後も成長を持続する鍵は生産性の向上だ。しかし、前の10年に進行した「国進民退」(公有セクターの膨張)が要素生産性の向上を阻んでいる。10年後には、いまの日本同様、生産性を向上させても労働投入の減少で相殺されて、実質成長が阻まれる未来が待っているのに、である。
政治的には、統治体制改革の遅れ(権力に対する有効な監督の欠如)が招いた腐敗、人権侵害、環境破壊、社会不安――山のような問題を改善しなければならない。
2年前、習近平が中国共産党総書記の地位を相続したとき、待ち受ける状況の深刻さをどこまで認識していたかは分からないが、2013年初めには習近平だけでなく体制内の多くの人が「このままでは中国共産党の統治は崩壊してしまう」という深刻な危機感に襲われたと思われる。
昨年11月の三中全会は、経済のみならず国政全般にわたって大胆な改革案を打ち出した。その内容の多くは、過去10年改革派が必要性を叫び続けてきたが、主流派は一貫して取り合ってこなかったものだ。10年間無視され続けてきた改革案が、なぜ去年急に採用されたのか――答は体制の危機感の高まりに求めるしかない。
従来、中国共産党は、国家指導者層では「集団指導」を行う方針だった。しかし、習近平の就任後に起きたことは、過去20年以上見かけなかった権力の集中である。「難局を乗り切るには強いリーダーが必要だ」からである。いわば、体制の危機感が習近平を強くて怖い「シングル・トップ」の地位に押し上げたのである。
反腐敗運動は、範囲も厳しさも期間の長さも、人々の予想を上回って続いている。贅沢(ぜいたく)に明け暮れてきた党の役人にも、頭から冷や水をぶっかけるような綱紀粛正の命令が下された。そうしなければ、共産党は国民に申し開きができない。
就任当初、人々は習近平に民主化を期待したが、実際に起きたことは、言論弾圧と思想統制の大幅強化だった。習近平は、この先経済も社会も、状況はもっと悪化していくことを見通している。いわば遭難しかけた船の船長よろしく、乗客に勝手な行動を許さない覚悟を固めているのだろう。言葉を換えれば、ひそかに戒厳令を下したようなものである。
過去2年の間に起きたこれらの大きな変化は、すべて中国が2009年以降の投資バブルを経て、未曽有の難局に直面する新しい10年に入ったこと、そして習近平をトップとする中国共産党の体制が、存亡をかけた危機感をもってこの難局に臨んでいると仮定することで、整合的に説明できる。
「政府は後ろに退いて、代わりに市場が決定的な作用を果たす経済成長の仕組みを作り上げる」――これは従来の「改革開放」政策をアップデートするものといえるが、三中全会決定の内容は経済だけではなかった。「決定」は、司法や立法が行政権力を監督する仕組みも提唱した。これを本格的に導入すれば、政権交代の仕組みのない中国で、政権交代以上の体制変革になる。それは「中国の特色ある社会主義統治体制」と説明されるのかもしれないが、鄧小平が定めた「四つの基本原則」(注)を大幅に改訂して「中国共産党2.0」を目指すのに等しい。
しかし、三中全会から既に半年が経つのに、改革の歩みは緩慢だ。党の役人は、反腐敗や綱紀粛正の暴風の前に身を縮めて動こうとせず、あるいは、習近平が鄧小平を超えて「毛沢東級」の指導者になれるかどうか、様子見していると聞く。
鄧小平も強い指導者だったが、党の長老の抵抗には手を焼いた。これに対して、毛沢東はオール・マイティだった。様子見をする役人たちは、習近平の改革は(解任することができない)長老の抵抗に遭うと見ているのだ。
その懸念は現実になるかもしれない。しかし、その場合、習近平は強い指導者になったのも束の間、今度は急速にレームダックに追い込まれ、中国はハード・ランディングに追い込まれるだろう――経済だけでなく政治も。
体制変革を阻む巨大な抵抗を向こうに回して、習近平は、利害も価値観も異なる党内諸勢力による統一戦線を結成して対抗しているのかもしれない。恐ろしく頑迷固陋(ころう)な保守派が言論や思想の統制の仕事に当たっていることはその証しである。彼らは「党とその王朝を救え」という危機感は共有していても、「中共2.0」の理念は共有していないのではないか。
「市場が決定的な作用を果たす」新しい経済成長の仕組みを作りあげるためにも、「中国の特色ある」新しい権力監督システムを導入するためにも、いまは毛沢東ばりの権威を手にしなければならない――何という皮肉だろうか。我々西側の人間は、そういう矛盾を孕(はら)んだやり方に懐疑的になるし、いま行われている言論弾圧にも嫌悪感を覚える。 しかし、「独裁体制という雑草を刈り取れば、民主体制という作物が自然に生えてくる」訳ではない。イラク、アフガニスタンや中東の春がそのことを教えてくれたいま、我々は、これまでどおりの自信を持って、中国人に「西側の流儀を学べ」と説教できるだろうか。
ひっきょう中国の行方は、中国人しか決められない。だが、習近平のこの闘いの結末は、外の我々にも巨大な影響を及ぼすだろう。
注:「四つの基本原則」:1979年に鄧小平が提唱し、中共が今日まで堅持している政治原則の一つ。「社会主義の道」「プロレタリアート独裁」「中国共産党の指導」「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想」の四つを堅持しなければならない、とする。
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