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[12]「イスラム国」討伐参加を命じられた立憲主義的隊長は?

小林正弥 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学)

正統性の争いと忠誠心の相剋

 スコットランドの独立住民投票は否決された(9月18日)が、これは中央政府と自治政府との合意に基づいて行われ、中央―地方関係の根幹を問い直すものだった。

2014年9月17日スコットランドの独立を問う住民投票前日、最大都市グラスゴーで独立支持派が「イエス」と書かれたカードを手に気勢を上げた=2014年9月17日
 スコットランドには、英国の核戦力が配属されていることに対する不満もあったから、沖縄にも少数ながら独立派がいることを考えると、沖縄と共通性がないわけではない。集団的自衛権の行使容認の閣議決定には地方紙では反対が多かった。

 このように考えてみると、日本でも地方の声や気持ちを傾聴する必要が改めて感じられるだろう。

 まして政権が違憲状態になると、地方からの抵抗があるだけではなく、政治権力の正統性に深刻な疑問が発生する。仮に安倍内閣が違憲状態内閣だとすると、論理的には、その内閣や行政府の命令や指示に従うことが正しいかどうかが疑わしくなるからである。

 そこで、公務員をはじめ人びとは、「現行憲法の規範を遵守すべきか、それとも安倍内閣の作った法律やその命令に従うべきか」という「正統性」に関する選択に迫られることになりかねない。

 特に公務員には憲法第99条によって憲法尊重擁護の義務が存在するから、違憲状態内閣の命令に従って違憲行為をすることは、現行憲法のもとではその尊重擁護義務に違反することになってしまう。だから、公務員はこの義務を遵守するためには、内閣の違憲の命令や指示には従ってはならない、ということになりかねないのである。

 ここには、現在の国家権力と憲法という2つの間で正統性の争いが生じてくる。

 これは、ハーバード白熱教室でも扱われたような「忠誠心の相剋」の事態に似ている。たとえば、南北戦争の前に、北軍の大佐だったロバート・E・リー将軍は、リンカーン大統領から北軍の司令官になるように要請されたが、連邦への忠誠心と出身地域である南部への忠誠心との間にはさまれ、後者を選んで南軍の司令官になったのである(第11回「愛国心と正義 どちらが大切?」)。

 この場合には、国家権力への忠誠心と出身地域への忠誠心の相剋が生じたわけだが、今の日本では、国家権力への忠誠心と憲法秩序への忠誠心が衝突しかねないわけである。この場合、どちらを選択すべきなのか? これは、極めて重要な正義の問題である。

内戦と正義

 たとえば、閣議決定に即して立法措置を行い、内閣が集団的自衛権行使を決定した時のことを考えてみよう。いま、アメリカは過激派組織「イスラム国」に対する掃討を本格化させた(9月15日)。現時点では、米軍トップが空爆の効果がなければさらに地上軍派遣という可能性を示唆したのに対し、大統領は否定しているが、今後、どのように展開するかはわからない。

 そこで、事態が悪化し地上戦も開始することになって、アメリカは日本に自衛隊派遣を要請してきた、と仮定しよう。思いの外、「イスラム国」が手強く抵抗してアメリカ軍に反撃をするので、日本政府は、集団的自衛権行使を決定して、自衛隊に出動命令を出した、としよう。

 この命令は、現行憲法からみれば違憲行為である。そこで、自衛官の憲法遵守義務に背反する。そこで、自衛官、たとえば命令を受けた部隊の隊長がそのように考え、国家権力への忠誠心と憲法尊重擁護義務との衝突に悩んだ末に、後者を選ぶのが正義だと信じて、内閣の命令に従わなかったとしよう。この隊長を「立憲主義的隊長」と呼ぶことにしよう。

 当然、内閣はその隊長を処罰しようとするだろうが、どちらが正義に適っているのかということは実は大きな憲法問題である。だからこそ、すでに憲法訴訟が起こったり、準備されたりしているのである。

 それだけではない。この立憲主義的隊長が憲法尊重擁護義務を全うするための正義心に燃えて、日本国憲法の秩序を回復するために、武力によるクーデターを行うとしよう。成功して全権を掌握して総選挙を行い、その選挙結果によって次の内閣を決めて、内閣に権力を委譲し、次の内閣は憲法尊重擁護義務を誠実に守ることを誓うと仮定しよう。

 もし安倍内閣について憲法クーデター説が正しければ、この武力クーデターは、憲法クーデターに対する「反(武力)クーデター」ということになる。この時、この立憲主義的隊長の行為をどのように考えるべきだろうか。

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