2014年10月20日
今年のノーベル平和賞はパキスタンの女子学生マララ・ユスフザイさん(17歳)やインドの児童労働問題の活動家カイラシュ・サティヤルティさん(60歳)に与えられ、有力候補と伝えられていた「日本国憲法9条を保持する日本国民」は受賞を逃した(10月10日)。
委員会からは、2015年も平和賞にエントリーするという連絡があり、実行委員会は、来年は100万人の署名を目指すという。
ノーベルの遺言で、平和賞は「国家間の友愛関係の促進、常備軍の廃止・縮小、平和のための会議・促進に最も貢献した人物」に授与されるということになっている。だから、平和憲法がこの趣旨に即していることは確かである。
ただ、安倍首相が閣議で受賞予測について「結構、政治的ですよね」と語った(10月10日)と伝えられるように、もちろん、このような動きは現実の政治的動向と無縁ではない。
マララさんは、パキスタンで、女子教育の権利を唱えて、イスラーム過激派に頭を銃撃され一命を取り留めた。ノーベル平和賞委員会は、イスラーム過激派の暴力行為に対して、マララさんの努力を応援し、その尊い活動が世界平和や人権の実現に寄与するものであることを評価したわけである。
同じように、日本政府が憲法第9条を実質的に破棄しようとしているのに対し、「日本国憲法9条を保持」しようとする市民たちがこの運動を起こし、ノーベル委員会の委員達の一部は、このような政治的状況を念頭におきつつ、世界平和のために憲法第9条が持つ意味を国際的に評価しようとしたのだろう。
なぜ、この時期に「日本国憲法9条を保持する日本国民」が有力候補に浮上したのだろうか?
ノーベル平和賞は、独裁国家や非人道的な国家において、平和・環境や人権擁護のために果敢に戦っている勇気ある人に授与されることが少なくはない。
これまでの日本は、このような非民主主義的・非立憲国家とは考えられてはいなかった。ところが、日本がまさに非民主主義・非平和主義的国家になる危険性が生じているからこそ、「日本国憲法9条を保持する日本国民」に対して受賞によって勇気づけようという気持が働いたのではないだろうか。
これまで論じてきたように、立憲主義が侵犯されるということは、これまでは憲法や法律で守られていた諸権利や自由が侵犯されるという事態が起こりうるようになってしまった、ということを意味する。
これは、法治国家の崩壊であり、日本がいわば人治国家へと退行することを意味する。だからこそ、「【閣議決定後の日本政治をどう捉えるべきか?(10)】――権威主義化による本当の民主主義の終焉」で論じたように、権威主義化の危険が現れているのである。
アメリカは、安倍政権の北朝鮮政策、ロシアに対する態度、靖国参拝問題、日中韓の歴史問題などに対して、様々な形で懸念や憂慮を伝えている。たとえば、安倍首相の北朝鮮訪問についてもケリー国務長官が「日米韓の連携が乱れかねない」として自制を求めた、と伝えられている(7月7日)。
また、ヘイト・スピーチ(憎悪表現)問題においては、国連人種差別撤廃委員会が日本政府に対して、「最終見解」で「毅然として対処」し、法律で規制するように勧告し、慰安婦問題に対しても被害者への調査や謝罪を求めた(2014年8月29日)。
さらに、政府は10月14日に秘密保護法の運用基準と施行日を閣議決定したが、政府が恣意的に秘密を指定したり、チェック機構が働かないという恐れは全く解消していない。
この法律には、表現の自由に関する国連特別報告者(フランク・ラ・ルー氏)や国連人権高等弁務官(ナビ・ピレイ氏)など国連関係者からも批判が相次いでおり、国際人権基準に反していて「民主国家においては世界最低だ」という批判すらなされている。
このように、日本政治の右傾化や、人権軽視、非立憲主義化、権威主義化の兆候は、平和や人権を重視する人びとから、国際的に問題視されつつあるのである。日本政治は、自由や民主主義のグローバル・スタンダードに背いて自由などの原理を侵害しつつあり、国際社会から問題国家として警戒の対象となりつつあるのである。
安倍政権の行った閣議決定は、平和主義から見て違憲行為であり、これが法制化されれば実質的に第9条は消滅するも同然である。これは同時に立憲主義の侵犯であり、さらに権威主義化の兆候を含んでいて、人治国家へと日本が頽落する危険を帯びている。これは、まさしく「憲政の危機」と言わざるを得ない。
内閣は、憲法第99条で、憲法の尊重や擁護の義務を負う。だから、憲法に明確に反する閣議決定を行えば、憲法尊重擁護義務違反となり、このような政治が放置されるならば、これは「憲政の崩壊」に他ならない。憲政とは、「憲法に基づく政治」を意味するものだからである。
安倍首相の「政府の最高責任者は私だ。選挙で審判を受けるのは私だ」(2月12日)」という発言には、「朕は国家なり」というフランスのルイ14世の発言のような思い上がりが感じられる。ここには、権力の傲慢が現れていると言わざるを得ない。
ここからは、2つの道が考えられる。
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