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昭和天皇実録を閲覧して――日本の歴史の中心にいるという不思議な感覚

鈴木崇弘 城西国際大学客員教授(政治学)

 台風一過でやや汗ばむ晴天の去る10月7日、皇居東御苑を訪れた。同所で行われている昭和天皇実録の写しの特別閲覧が目的だった。

昭和天皇実録=代表撮影昭和天皇実録=代表撮影
  「昭和天皇実録」は、1901年から89年まで存命した昭和天皇の日々の動静や関連する出来事を記したもので、8月21日に、皇居・御所で、天皇・皇后両陛下に献上された。

 そして、9月9日付でその昭和天皇の生涯をつづった公式記録である実録の内容が公表され、同日から11月30日まで、特別閲覧が実施されているのである。

 現在も議論が続いているところだが、初代は神武天皇で、その即位は日本の建国にあたる紀元前660年であるといわれ、今から約2700年前に相当することになる。

 その史実は定まっていないが、いずれにしろ2000年程度あるいはそれ以上にわたって、日本国そして天皇制が続いてきたことになる。これは、日本が、世界的にみても、もっとも長く続く「国家」であることを意味する。

 また日本国の統一は、武力による征服・制圧というよりは、むしろ平和的に行われたといわれており、その意味でも日本は、稀にみる背景を持って成立している国であるといえる。

 また天皇は、歴史的には、日本国の最高位にあったが、「絶対君主」というよりも、むしろ「象徴」として長らく君臨してきたといえる。ところが、江戸幕府が崩壊し、明治政府が成立すると、西洋の近代諸国に対抗していくために、王政復古が行われ、天皇が日本国の主権者になった。これにより、天皇は単なる象徴ではなく、実際の権力者になったのである。

 明治期はその初期段階であり、大正期は天皇は病気がちであったことなどのために、天皇の絶大な力を発揮できなかった面がある。その意味では、昭和天皇は、第二次世界大戦(太平洋戦争)終了後までの約20年間(大正期の摂政期も含めると約25年間)は、軍との確執などもあったようだが、近代国家日本の本格的な実質の君主であったと考えることができる。

 昭和天皇は、1923年の関東大震災、1936年の2・26事件、1941年から1945年の太平洋戦争という大きくかつ様々な出来事や事件が起きた時代を乗り越えてきたのだ。そして戦後の昭和天皇は、いろいろな経緯があったものの、日本国憲法の制定により、日本国民の「象徴」という立場になり、日本の復興と高度成長も見届けた。

 そのように昭和天皇は、発展および大惨事そして再発展という近代日本国家の激動の時代を生き抜いてきたのであり、その生涯は日本の近現代史とまさに重なるのである。そして、天皇在位は、1926年12月25日から1989年1月7日で62年間を超えており、このように60年を超えた元号は、世界的にも、昭和以外では、中国の清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかないそうである。

 このような事実を受けてであろうが、先日逝去された坂本義和東大名誉教授が、ゼミにおいて、「昭和天皇はただものではないと考えている」という主旨のことを語られていたのを、ゼミ生だった筆者は今も鮮明に覚えている。

 戦後70年、憲法改正論議が高まっている。その中で、日本の戦後と今後の方向性に対する議論が起きているが、日本のガバナンスを考える上では、日本人一人一人が天皇あるいは天皇制について、特に国民主権や民主制とのコンテクストの中で、今一度考える必要がある。

 その際に最も重要な経験や情報を提供しているのが、昭和天皇だと思う。その意味で、「昭和天皇実録」は、一部黒塗りで公開された大正天皇実録と異なり、黒塗りはなく、一般の国民にとっても、非常に貴重なものであると考えられる。

 多くの報道では、歴史の通説を塗り替えるような新事実は書かれていないと研究者が指摘しているようである。確かにそうかもしれない。

 だが、実際に閲覧した筆者の実感は異なる。

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