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[6]真に政治的な動きは、知性の運動だ

まとめ:WEBRONZA編集部

内田樹 神戸女学院大名誉教授(フランス現代思想)

 では、いったいこれから一体どうやって主権国家の道を歩んだらいいかということですが、買弁資本家が国を売らんとしている時というのは、かつての中国の独立運動の人たちと同じような立場になると思います。自分たち自身の国の根幹部分ににつながっていくということじゃないかという気がします。つまりこういうことです。

内田樹氏内田樹氏

  国というのは、いま皆さん非常に水平的に考える。みんなビジネスマンなので。発想としては、今期とか、四半期の収益とか株価ということばかり考え、それと同じように国のことも考えています。

 いま、世界を水平的に、二次元的に図式して、そのなかの自分たちの取り分はどれくらいかと、パイのどれくらいをとっているかというかたちで国益の分配を考えていると思います。けれども、本来の国というのは、そういう風に空間的に表象されるものじゃないと僕は思っているんですね。地図の上の版図の広さ、とか、勢力圏というものを二次元的に表象して、これが国力であると考えるのは、僕は間違っていると思う。

国というものには死者もこれから生まれる子どもも含まれる

 国とはそういうものではなくて、実際には、垂直方向、時間の中で生きているものです。我々が、この国を共有している、日本なら日本という国の構成メンバーというのは、同時代に生きている人間だけじゃないですね。そこには死者も含まれているし、これから生まれてくる子どもたちも含まれている。その人たちと、ひとつの多細胞生物のような共生体をかたちづくっている。そこに国というものの本当の強みがある。

 鶴見俊輔さんが、開戦直前にハーバード大学を卒業するわけですけれども、その時にアメリカに残るか、日本に帰るかという選択の時に、日本に帰るという選択をするわけですね。もうずいぶん長くアメリカにいて、英語でものを考えるようになって、日本語もおぼつかなくなっている。そもそも、日本の政治家がどの程度の人物かよく分かっているし、たぶん、日本はこれから戦争をやって負けるだろう。そこまで分かっていたけれども、日本に帰るわけですよね。「私は負ける時には自分の国にいたい」という思い。これは、やはり、すごく重たいことだと思う。

 この感覚というのはなかなか、政治学の用語ではうまく語り切ることができないのですけれども、それは幻想だとか、共同幻想とかと言い切られてしまっては困るわけです。実際には、我々、日本人というのは、現在ここにいる1億3000万人の人間が日本人であるだけではなく、すでに死んでしまっている死者たちも、これから生まれてくる子どもたちも、同じ日本人のフルメンバーであると、僕は考えているんです。

 したがって、過去の人間たちに対しては、彼らがつくった負債に関しては、その債務を我々が受け継がなくてはいけないし、そして、債務はできるだけ軽減して、次世代に送り出さなくてはいけない。その仕事が僕らに課されているだろうと思っています。

 今の日本の不思議な部分というのは、グローバリズムとナショナリズムが混交しているということなんですね。グローバリストが同時に非常に暴力的な拝外主義者でもあるということは、彼らが、まさに世界を二次元的にとらえている結果だと思います。

 グローバルなゲームの中で、自分たちの取り分を増やそうとする。だから、彼らのようなナショナリストというのは、不思議なことに伝統文化に対してまったく関心がない。ナショナリストの方が、英語を学会の公用語にしようとかいうことを言っている訳です。

国を立て直すのは山河と死者の二つ

 僕たちは今、最終的に国を立て直すというところまで追い詰められていると思うのですが、その立て直す時に僕らが求める資源というのは、結局二つしかない。ひとつは「山河」ですよね。国破れて山河あり、山河しかない。もう一つは死者ですよね。僕はそう思っている。

 国が破れても山河があれば、なんとか再生できる。国なんてのは、ひとつのその時の政体とか統治形態で、そんなものというのはしょっちゅう壊れたりするものなんですけれど、再建することはできる。山河があればできる。

 山河というのはすごく抽象的ですけれども、言語であり、宗教であり、生活習慣であり、生活文化であり、食文化であったり、儀礼であったりですね、あるいは景観であったり、森林とか、湖沼とか、そういう種類の我々自身を養って、我々自身を今も支えているような、ひとつの実効的なものと自然資源が絡み合ってつくられた、ひとつの複雑な培養器なるものなんですね。

 かりに我々の政府が大きな失政をおかしていって、国が大きな損失を被った場合でも、山河があれば、山河からもう一回蘇ることができる。その山河とは何かということをきちんと言葉にしていきたいと思う。

 もう一つは死者たちですね。死者たちも未来の世代も。今まだ存在しないものも、我々のこの国の正規のフルメンバーであって、彼らの権利、義務に対しても配慮しなければいけないということです。

存在しないもので整える

 僕は、合気道という武道をやっているわけですけれども、経験的に分かることというのがあります。例えば、身体を動かす時に、自分の身体の筋肉、骨格筋とか、関節とか、そういうものを操作しようと思って、具体的に今存在するものをいじくっていっても、身体は整わないんですね。

 だけれど、例えば、手のうちに刀があって、

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