居住地区の隔離と教育、白人有利の司法制度……
2014年12月17日
アメリカ社会はしばしば、人種の「るつぼ」とか「サラダボウル」と言われる。しかし、実はそうした表現は正しくない。るつぼとは金属が溶け合ったつぼのことだが、米国ではまだ、異人種が溶け合ったり、混ざり合ったりした社会が実現したとは言えないからだ。
約6年前には、黒人初の大統領、オバマ氏が登場し、世界にアメリカ民主主義の強さを示したかに見えた。だが現実には、それ以来、異人種間の融和よりむしろ対立の方が目立っている。
しかし、問題はそれだけではない。
2年前、オバマ大統領が再選された選挙では、史上初めて黒人の投票率(約66%)が白人(約64%)を超えた。オバマ大統領の得票率は黒人の間では93%に上ったが、白人はわずか39%にとどまった。
先の中間選挙では、オバマ大統領与党の民主党は黒人の得票率88%に対して、白人の得票率は38%だった。逆に野党共和党は白人の60%に対して、黒人から10%しか得票できなかった。白人と黒人は選挙でも真っ向から対立しているのだ。
歴史的には、多民族国家アメリカは南北戦争中の1863年にリンカーン大統領の「奴隷解放宣言」、さらに戦後の「公民権法」成立、と輝かしい成果を挙げてきたかに見える。
しかし、現在に至るも、なぜ黒人に暴行を加え死亡させた白人警官が刑事処罰を免れるような事態が起きるのか。歴史と現状を分析する必要がありそうだ。
現実には、米国では人種差別のない社会の実現は見かけほどには進んでいない。
リンカーンの奴隷解放で恩恵を受けたのは、労働者不足に悩んでいた北部の工業資本家だった。南部の農場から解放された多数の黒人奴隷は、北部の工場で雇用された。
しかし、それ以後南部各州では、いわゆる「ジム・クロウ法」という名の人種隔離政策が約90年間も続けられた。
長年の人種隔離を打ち破るきっかけとなったのは、黒人女性ローザ・パークスさんがバスの中で白人に座席を譲らず、逮捕された1955年の「モンゴメリ・バス・ボイコット」事件だった。
これ以後、公民権運動が盛り上がり、1964年に公民権法が成立して、人種差別を撤廃する法的整備が進められた。
学校や職場などで「差別是正措置」(アファーマティブ・アクション)が実行され、例えば、アイビー・リーグの大学などでも白人以外の黒人などマイノリティに一定割合の入学枠が設定されたりしている。
しかし、公民権運動と並行して、人口の大移動が全米で進行した。白人家族は都市から郊外へ移り住み、デトロイトやクリーブランドなど北部の工業都市の中心部「インナーシティ」に黒人が残され、これらの都市で麻薬問題、暴力事件などが多発した。
豊かな白人の中には、門と塀で囲まれた郊外の「ゲーテッド・コミュニティ」に住む者も増えた。
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