「リベラル系」は、日本人を読み違えた次世代の党から学べ
2014年12月18日
此度の衆議院選挙の結果は、自民党の微減、公明党の堅調、民主党の復調、共産党の躍進、維新の党の現状維持と総括できるかもしれない。
中でも際立っていたのは、石原慎太郎や平沼赳夫を擁する「次世代の党」(以下、次世代党と表記)が壊滅し、社民党や小澤一郎が率いる「生活の党」と同じ類の「泡沫政党」と化した光景であろう。
次世代党の壊滅は、日本の有権者の大勢が「イデオロギー」に拠って投票しているわけではないという至極当然の事情を世に示した。
たとえば、宮城二区から出馬し、落選した増元照明(前・北朝鮮による拉致被害者家族連絡会事務局長)の姿は、次世代党の「錯誤」を象徴としていたといえるであろう。
増元は,全く「地縁」を持たない宮城・仙台の選挙区に、おそらくは拉致被害者救出運動に係る「政治活動家」としての知名度のみに依って、出馬した。
そして、増元は、総投票数二〇万の内、一万五千票を得ただけの結果に終わった。
増元は、敗戦の弁で、「拉致を人ごとのように考えている方が多い。安倍首相にも外務省の担当者にも、なぜ私がここで戦わなければならなかったのか考えてほしい」と語った。
しかし、そもそも、拉致被害における「当事者」性が日本海側地域よりも薄い宮城・仙台の有権者に訴える材料として、拉致案件を前面に押し出した増元の姿勢は、どれだけの説得性を持ち得たのか。
しかも、宮城二区を成す仙台市東部は、東日本大震災で甚大な津波被害を受けた土地柄である。当然のことながら、「震災復興の加速」は、当地の政治上の「要請」の最たるものであったはずであるけれども、増元は果たして、その「要請」に応える言葉を用意できたであろうか。
仙台市民を含めて日本の有権者の大勢は、拉致被害者やその家族の境遇に深い同情を寄せているであろうけれども、それもまた、「震災復興」や「経済再生」に絡む自らの切実な「要請」を手控えてまで、関わっていく話ではない。
そうであるとすれば、次世代党は、その「日本の誇り」を強調する民族主義的な意匠にもかかわらず、実は日本人の「性格」や「特質」を甚だ読み違えていたといえるかもしれない。
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