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モヒートを飲みながらキューバを語ろう(上)

カストロの革命理念が生きる医療や教育

高成田享 仙台大学体育学部教授(スポーツメディア論)

 米オバマ大統領がキューバ政策の転換を発表したときに、そうか、この手が残っていたのか、と思った。

 米国の2期目の大統領は、3選が禁じられていることから影響力が衰え、とくに中間選挙が過ぎたあとは、レイムダックと呼ばれる「死に体」状態に入るといわれる。民主党のオバマ大統領は2期目に入ってから支持率が低迷、2014年11月の中間選挙では、上下両院とも野党共和党に多数党の座を奪われた。

 まさにレイムダックで、このままでは、米国で歴史上初めての黒人大統領という「業績」だけが歴史に刻まれるのかと思っていた。

 ところが、1961年に国交を断絶して以来、半世紀を超えるキューバに対する敵視政策を転換して、国交正常化の交渉を始めるというのだから、米国内はもちろん、世界をあっと言わせることになった。

 これが成功すれば、大統領の最大の業績として、キューバとの国交正常化が歴史に残されるだろう。どの国の指導者も、国交回復でも憲法改正でも、任期中に残した歴史的な業績が墓銘碑に刻まれことを望むものだ。

 民主党のクリントン大統領の任期が終わる時期、私はワシントンで取材をしていたが、大統領が最後に仕掛けたのは、朝鮮戦争(1950-53)以来の北朝鮮との対決の「和解」だった。

 国務長官を北朝鮮に派遣し、自らも平壌に乗り込もうとした。しかし、大統領選で後継者になるはずのゴア副大統領がテキサス州知事だった共和党のブッシュ氏に敗れたことで、同じ外交政策の継続は難しいと、訪朝を断念した。クリントン政権時のホワイトハウスのスタッフは「大統領は最後まで訪朝にこだわったが、ブッシュ陣営からノーを強く言われた」と語っていた。

 そんな歴史は、同じ民主党のオバマ大統領も百も承知だろうから、2年後の大統領選ぎりぎりの時期ではなく、中間選挙が終わって間もない時期に仕掛けを発表したということだろう。

 クリントン政権の時代ですら、国務省の役人もシンクタンクの研究者も「キューバを封じ込める政策は無意味」だと話す人が多かった。

 米国の世論調査でも、1990年にソ連が崩壊してキューバへの支援が弱まってからは、回答の過半が国交正常化を求めていた。それができなかったのは、カストロ兄弟による独裁国家で人権侵害が続いているという理由で、共和党を中心とする米国内の保守派がキューバへの経済制裁の維持を主張していたからだ。

 そういう意味では、今回の政策転換は、リベラル派大統領による「快挙」だといえそうだ。

 私はワシントン駐在だったときに、2度キューバに行った。取材というよりも、当時の国家元首だったフィデル・カストロ国家評議会議長(当時)が

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